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31.福井平野

治水,利水システムが拓く福井平野の農業

 <1984年8月14日観測画像>

画像は,福井平野を中心とした嶺北地域で,福井県全面積の約4分の1に当たる。東西に流れる九頭竜川には,南の山あいから北流し,福井市の西で足羽川と合流した日野川が合流する。これら3大河川で潤う福井平野の昔は内海であったが,河川からの土砂の堆積で平野が形成されたのである。そのため,きわめて平坦である反面,肥沃,湿潤で排水が悪いのが特徴であり,福の井という県名の由来とも関連している。

福井平野は,県水田面積の約2分の1に当たる約2万ヘクタールの水田をもつ大穀倉地帯で,ホウネンワセ,コシヒカリなどの超大物品種を育成し,増産に励んできた。戦後の食糧の不足時代にはホウネンワセの新米をいち早く供給する早場米の産地として,また最近の飽食の時代にあっては,日本一上位等級比率の高い,良質でおいしいコシヒカリの産地として,京阪神への食糧供給基地の役割を果してきた。

福井平野で良質米の安定生産が可能なのは先祖からの治水,利水,開拓の努力の積み重ねによるものである。

奈良時代の正倉院の絵図に,東大寺の財源を得るため,荘園が数多くこの地に形成されたことが描かれている。この荘園には,他地域の荘園にはみられない潅・排水路が造成され,当時としては最先端の土木工事技術をもって,この平野で米の生産が営まれていた。遠く奈良の都へ,福井の産米が運ばれ,奈良朝の国運をかけた事業であった大仏建立に大きく貢献したことがうかがわれる。

戦後は日本一の規模といわれた九頭竜川農業水利事業によって水利体系が完成した。龍のような暴れ川で氾濫を繰り返してきた九頭竜川の洪水被害をほとんど回避できるまでになった。あわせて,土地改良事業が進められ,圃場整備率は約84%と日本の最高水準にある。圃場整備の進展は排水改良を促進する契機となり,福井平野は九頭竜川の統一的改修工事によって安定性と水田機能の向上がはかられたのである。

このことが,水稲単作で畑作物は皆無のような福井平野にも,昭和53年の水田利用再編対策を契機に畑作物が導入さる時に威力を発揮した。当初は,排水不良のため,収量,品質が著しく悪く,福井平野への畑作物の導入は不可能との判断が大勢であった。しかし,この厳しい試練も,作付の集団化と徹底した排水対策を行なった転換畑にオオムギを播き,その跡作にダイズを作付けるという周年作体系により克服した。

画像では,その大豆の作付箇所が緑の水田中に点在する黄色い部分として見える。この体系が最近では70%を占める。オオムギ,ダイズの収量・品質も著しく向上し,オオムギ+ダイズの収量が1トン/10アールを上回るのも夢ではなくなり,全国に誇れる周年作体系が確立されたのである。

九頭竜川の河口には,かって,福井平野の農産物の京阪神への貿易港として栄えた三国港が,福井新港として誕生した。この港へは福井が21世紀へ向けて,さらに,国際的にも飛躍するようにとの願望が込められている。先人のたゆまぬ先端技術の導入によって,恵みの大地となった福井平野をさらに発展させるため,われわれが次の世代へ引き継ぐべき技術は何であろう。

岩田忠寿(福井県庁)

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