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情報:農業と環境 No.107 (2009年3月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 266: 毒と薬の世界史 ―ソクラテス、錬金術、ドーピング―、 舟山信次 著、 中央公論新社(2008年11月) ISBN 978-4-12-101974-5

「薬も過ぎれば(過ぐれば)毒となる」ということわざがあるように、毒と薬は両面性で不可分であり、人間の使い方しだいともいえる。このことを著者は「薬毒同源」と唱える。現代において、きわめて多数に上る毒や薬(化学物質)とどうつきあっていくかは、個人だけではなく社会全体にとって大きな課題である。本書は、古代から現代に至るまでの毒と薬の歴史を概観し、その時代時代のエピソードを紹介する。

人間は、病気を治す薬となるものと毒とを経験から分別し、それぞれ利用(毒は悪用?)してきたのであろう。古代メソポタミアの紀元2000年以上前の文書には多数の植物や動物、鉱物由来の薬の記録がある。また、古代エジプトの紀元前1552年に書かれた文書にも、各種の疾患の症状とそれらの治療法とともに、薬の処方や調整法、使用法についても書かれており、薬としての記録だけでも薬700種類の動植物や鉱物の記載があるという。古代ギリシャでは罪人の処刑にドクニンジンの種子エキスが用いられ、ソクラテスもこの方法で処刑された。古代中国では、病気を引き起こす悪霊に打ち勝つために、水銀やヒ素などを含む五毒と称する薬の記録があり、唐の時代には少なからぬ歴代皇帝が丹薬中毒で生命を落としている。日本では万葉集にも詠まれている「ムラサキ」が、薬や染料として使われていた。757年に藤原仲麻呂により施行された養老律令では、附子(ぶし、トリカブト類の根を乾燥したもの)ほか3つの毒を売買したり使用した場合の罰則が述べられているという。

中世、大航海時代の到来で、タバコや茶、コーヒーが広まった。世界で醸造法が発達し、ヨーロッパでは大学や薬局が誕生している。ハンセン病やペスト、梅毒といった疫病がこの時期ヨーロッパで流行し、この戦いに毒や薬が用いられている。

近世になると、18世紀末のフランスのラヴォアジェ、19世紀のファラデー等により、化学が発達し、有機化学の萌芽が見られた。エーテルや笑気ガスによる麻酔が試みられ、モルヒネが単離され、全身麻酔による手術も行われた。

近代になると、パストゥールにより自然発生説が否定され、それはやがて消毒法の確立につながった。コッホや北里柴三郎により病原菌が次々と発見され、やがて免疫療法や化学療法の発達、さらには抗生物質の発見へと発展した。

現代は、多種類、多量の化学合成薬が出回っており、新薬の開発と薬効の薬理学的検討も20世紀半ば頃から急速に進んでいる。こうした医薬品の開発により、人類は多くの病気を克服してきたが、医薬の科学の発達に伴う新たな問題やひずみも次々と生まれている。それぞれの新薬の開発の経緯もまた複雑で、従来は想像もできなかったような用途の薬も開発されている。バイアグラは狭心症の治療薬として開発されたため、狭心症の発作の治療薬であるニトログリセリン等と併用はできない。今後登場してくるであろう新たな病気や新薬にどう対応していけばよいのか、判断を迫られている。

薬品等の化学物質は、環境汚染を引き起こしたり、環境を通して人間に影響を及したりすることも多い。人間に対する毒性だけでなく、環境に対する影響も問題となる。公害や大気汚染、薬害も、大きな問題である。

著者は、日本の医学や薬学は世界最高の水準にあるのに、医療システムについては完全に遅れをとったと指摘する。即ち、日本の医療は、古代から江戸時代までは中国の医療を取り入れ、改良してきたが、江戸時代にはオランダの医療も取り入れて並列、明治になるとドイツ医療を取り入れ漢方医学を排除。さらに第二次世界大戦後は米国の医学に傾倒するなど、その時代の都合で断片的かつ、つまみ食い的に取り入れたり排除したりしてきた。その結果、総合的な独自の発展がなかったという。

明治以来、医学校や薬学校ができて医師や薬剤師の養成が行われるようになった。ドイツ医学の採用とそれまで隆盛だった漢方医の消滅が決定されたが、大勢いた漢方医には無試験で西洋医の免許が与えられた。漢方では薬の調合と治療行為は不可分のものであったこともあり、このことが日本で医薬分業が進まなかった要因であると説明する。

多くのエピソード上げ、わかりやすく説明している。内容的に多岐に渡っているだけに、主題がやや薄まっている感がないでもない。新薬をはじめとした新たな化学物質の開発は今後ますます増えていくことは必至である。化学物質の持つ二面性を認識することは、医療や薬品に限らず農業や環境においても重要なファクターであることは間違いないであろう。

目次

第1章 古代の毒と薬 (地球と毒・薬の誕生/古代エジプト・ギリシャ・ローマにおける毒と薬/古代インド・中国における毒と薬/古代日本における毒と薬)

第2章 中世の毒と薬 (魔女と毒草/大航海時代の毒と薬/ルネサンス・錬金術・科学と化学の曙 ほか)

第3章 近世の毒と薬 (『本草綱目』と本草学の発展および南蛮医学の導入/近代医学・薬学黎明期における毒や薬にまつわる発見・事件/近代有機化学への出発)

第4章 近代の毒と薬 (病原微生物学の誕生と発展/近代薬学および有機化学の誕生と発展/種々の疾病に対抗する療法の黎明)

第5章 現代の毒と薬 (抗生物質の再発見と発展/精神を左右する毒と薬/科学の発展と毒と薬/公害と薬害、毒や薬による犯罪)

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