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情報:農業と環境 No.109 (2009年5月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報: メキシコ・トウモロコシ在来品種との交雑は生物多様性に与える重大な損害か?

遺伝子組換え作物による生物多様性(自然生態系や野生生物種)への影響というと、2001年に Nature 誌に載ったメキシコでのトウモロコシ在来品種との交雑論文を思い出す方も多いだろう。この論文は多くの論争を巻き起こしたが、昨年(2008年)暮れに議論を再燃させるような論文が発表された。2009年3月、メキシコ政府は1998年以来全土で禁止していた組換えトウモロコシの栽培を小面積の試験栽培に限り再開することを認めたこともあり、トウモロコシの栽培起源地での在来品種との交雑や遺伝資源の保護に再び関心が高まっている。そんな最中の2月下旬、首都メキシコシティでは生物多様性条約カルタヘナ議定書の積み残し案件である、第27条「責任と救済」に関する特別作業部会が開催された。

在来品種との交雑はあった? なかった?

組換えトウモロコシの商業栽培は、害虫抵抗性(Bt)品種が1996年から、除草剤耐性品種が1998年から米国とカナダで始まった。メキシコでも1996〜1997年に小面積でBt品種の栽培が行われたが、1998年にトウモロコシの栽培は禁止され、その後はワタとダイズのみが商業栽培されている。2001年11月、米国カリフォルニア大バークレー校の Quist らは 「メキシコ南部の山間地、オアハカ(Oaxaca)州で2000年10〜11月に採取したトウモロコシ在来品種、6サンプルのうち4サンプルから遺伝子組換え作物で使用されるプロモーター(遺伝子の転写開始の働きをするDNA配列)やBtタンパクなどの導入遺伝子を検出した」 と Nature 誌に発表した。

オアハカは1996〜1997年に組換えトウモロコシが栽培されていた地域から100km以上も離れており、「そんな長距離をトウモロコシ花粉が風に乗って飛散し交雑するのか?」、「1998年から栽培は禁止されている。食糧・飼料用として輸入した組換えトウモロコシを違法に栽培した結果ではないのか?」、「検出方法に問題はなかったか?」 などさまざまな論議を呼んだ。トウモロコシの栽培起源地ということもあり、日本でも多くのマスメディアがとりあげ、朝日新聞(2001年11月30日付け)は「組み換え遺伝子、野生種に混入。種の多様性損なう恐れ」と報じている。記事では「野生種」とあるが、正確には現地で栽培されている「在来品種(地方品種)」との交雑である。

翌2002年4月、Nature 誌編集部は、Quist らの研究は導入遺伝子の検出方法に技術的な問題があるとして、この論文の掲載を撤回した。研究者側の不正が発覚し、論文が取り下げられることはまったくないわけではないが、まれなことであり、この間の経緯を巡って、バイテク推進・反対・懸念派の間で、科学的見解を越えたさまざまな論争を巻き起こした。3年後の2005年8月、Ortiz-Grarcia ら、メキシコ・米国の共同研究チームはオアハカのトウモロコシ品種を採取し再調査した結果を全米科学アカデミー紀要 (PNAS) に発表した。「2003〜2004年にオアハカ州の18地区、125の畑から、870本のトウモロコシを採取し、合計15万3746粒の種子の遺伝子配列を調べた結果、組換え体と考えられる導入遺伝子は1つも検出されなかった」という内容である。この報告によって、2001年の Quist らの報告が完全に否定されたわけではないが、メキシコ全土で組換えトウモロコシの栽培中止が続いていたこともあり、遺伝資源として貴重な地での在来品種との交雑を巡る論争は収束するかに見えた。

3年後の2008年11月、Nature 電子版は「メキシコ自治大学の Pineyro-Nelson らが、オアハカで採取したトウモロコシ在来品種から組換えトウモロコシの導入遺伝子を検出したと言う論文を Molecular Ecology 誌に発表する」と報じた(論文は2009年1月に公表)。「2001年に採取したサンプルでは、23地点のうち3地点で組換え遺伝子を検出し、2002年に採取したサンプルでは9地点いずれからも検出されなかった。2001年のサンプルで組換え遺伝子が検出された3地点について、2004年に再び採取したところ、2地点で組換え遺伝子が検出された」 という内容である。

Pineyro-Nelson らは、この結果から 「2001年の Quist らの報告が正しく、2005年の Ortiz-Grarcia らの報告が間違っていた」 とは述べていない。両者の調査は検出方法が異なるため単純に比較できないし、サンプルの採取方法も異なっているからだ。彼らは2004年に確認されたサンプルについても、2001年かそれ以前から、在来品種に組換え遺伝子が存続していたのか、あるいは新規にその後、導入されたのかは不明であると述べている。「一つの検出方法を用いると、たとえ組換え遺伝子が入っていても見過ごしてしまうこと(偽陰性)もあるし、導入遺伝子の分布がある地点のある個体に偏っている場合、大量にサンプルを採取しても検出される確率はひじょうに低くなる」 と述べ、研究者間でサンプル採取や導入遺伝子の検出など調査方法の確立(統一)が必要であると指摘している。

偽陰性とは逆に偽陽性の場合もあり、正確を期すためには複数の検出法を用いるのが良いのは確かで、調査方法の確立(統一)は重要だ。それでも、今回のトウモロコシの例に限らないが、「あった(交雑していた)」 ことより、「なかった」 ことを証明するのは難しく、多くの人・時間・経費を要することになる。

メキシコ自給的農民の品種育成

今回の一連の研究舞台となったオアハカ州はメキシコ南部の高原地帯に位置し、トウモロコシの栽培起源地の1つと考えられているが、メキシコ説の他に、ペルー・ボリビア説や複数起源地説もあり学術的にはまだ起源地は定まっていない。しかし、オアハカ州を含むメキシコ南部には多くの在来品種が存在し、多様な遺伝資源の宝庫として重要な地域であることは確かだ。2001年の Nature 誌をきっかけに組換えトウモロコシと在来品種の交雑問題が白熱していたとき、メキシコに本部を置く国際トウモロコシ・小麦改良センター (CIMMYT) の Bellon ら (2004) は、「メキシコ南部で小規模に自給的農業を営んでいる農民のトウモロコシ利用形態も考えて議論すべき」 と、現地の農業事情を紹介した。

メキシコのトウモロコシ栽培は大きく二つに分けられる。米国と隣接する北部地域では比較的少数の大規模農家によって、農業用水施設の完備した商業的生産が行われ、市販の種子(交配品種)を購入している。一方、南部は雨水に依存した小規模生産による家庭内消費(自給)が中心であり、種子を毎年購入することはなく、収穫物から自家採種している。しかし、時折、農民は市販品種と在来品種を掛け合わせて自ら品種改良し、混交品種 (creolized variety) を作りだし、栽培体系に取り入れている。メキシコでは50年以上も市販の近代品種(交配品種)と在来品種と混交品種の3つが共存し、隣接して栽培されてきたが、これによって在来品種が消滅するようなことはなかった。組換え品種の遺伝子が在来品種に拡散すること自体を、在来品種が汚染されたと見なし、「悪」と判断されるとすれば、今までの農業体系とは異なる価値判断が必要となる。いずれにせよ、在来品種への導入遺伝子の拡散には、農家の行動と技術がかなり影響することを考慮すべきである。 以上が Bellon ら (2004) の論文の要点である。遺伝子組換え技術を用いた近代品種の持つ形質が、在来品種にうまく取り込まれるかどうかは分からない。また、仮にうまく取り込めたとしても、種子開発メーカーがこれを容認するかどうかも不透明だ。オアハカの在来品種への組換え遺伝子の拡散(交雑)がどのような経緯を経て生じたのかははっきりしていないが、生物学的条件だけでは判断できない面があることは確かなようだ。

メキシコ政府 北部地域で組換えトウモロコシの試験栽培承認

2009年3月6日、メキシコ政府は1998年から全土で禁止していた組換えトウモロコシの栽培を、小面積の試験栽培に限って許可することを決定した。この背景には2007年来のトウモロコシ価格の高騰、食糧危機がある。トウモロコシはメキシコ国民の主食であり、年間約2100万トンを生産しているが、完全自給はできず約1000万トンを主に米国から輸入している。北米自由貿易協定 (NAFTA) によって、安価な米国産トウモロコシを輸入してきたが、近年の穀物価格の高騰で、自国での増産を強化する方向に転換した。生産者はワタやダイズで組換え品種のメリットを実感しており、さらにテキサス州など米国と隣接する北部地域では、組換えトウモロコシの栽培メリットもよく知られていたため、自国で増産するなら組換え品種の導入を望む声が大きかった。試験栽培は1地点2ヘクタール未満、非組換えトウモロコシから最低200m離す、フェンスで周囲と隔離するなどの条件を付けた上、多様な在来品種が存在する南部地域を避け、北部のチワワ (Chihuahua) 州や ソノラ (Sonora) 州で実施されることになっている。試験結果を見た上で2012年から商業栽培が予定されているが、その際もメキシコ政府はオアハカ州など南部での栽培は認めない方針である。

カルタヘナ議定書「責任と救済」メキシコ会合開催

首都メキシコシティでは2月23〜27日に生物多様性条約カルタヘナ議定書の第27条「責任と救済」に関する特別作業部会(正式名称は共同議長フレンズ会合)が開催された。第27条「責任と救済」はカルタヘナ議定書の策定段階から、「必要」、「不要」と各国間で意見がまとまらず、条文の中味を決めないまま見切り発車した積み残し案件である。2008年5月、ドイツで開催された第4回締約国会議(MOP4)でようやく「組換え生物の国境を越えた移動によって生じた生物多様性への損害」に対する救済責任について、法的拘束力を持った文書を作る方向で締約国間の合意が得られた。2010年10月名古屋で開催される第5回締約国会議(MOP5)での採択をめざし、今回のメキシコ会合はそのための1回目の作業部会である。会合では、「責任と救済」に関する規定を、第27条の条文中に書き入れるだけではなく、議定書(40条の本文と3つの付属文書)の補足議定書として、新たに複数の条項から成る文書セットを作成することで合意した。この他、「生物多様性に対する有害な影響(損害)は科学的に確立された基準によって判定できるものとする」方向で合意が見られたが、「国内法との関連性」や「法的拘束力を持たない民事責任に関する指針(ガイドライン)の内容」など未確定の部分が山積みである。2010年10月名古屋での採択に向けて、2010年2月にマレーシアで2回目の作業部会を開くことが決まった。草案が出来たとしても各国の閲覧・確認に約半年間必要と言うことで、草案作成の期限は2010年4月上旬となる。今度はまとまるのだろうか? 来年初めから10月18日のMOP5開催までの動向が注目されることになる。

27条 「責任と救済」 の成文化作業が紛糾する理由の1つは、締約国会議、作業部会を重ねても 「組換え生物の国境を越えた移動の結果生じた生物多様性に対する損害(ダメージ)」 の具体像がはっきりしないためである。もし、メキシコ全土がトウモロコシの栽培起源地で、遺伝資源の保全上、重要な地域なら、カルタヘナ議定書を批准し、国内でのバイオセーフティ法を整備したメキシコは、最初から組換えトウモロコシの栽培を承認しないだろう。北部地域に限定して栽培が認可された場合、南部オアハカ州のような栽培禁止地域で在来品種との交雑が確認されたとしたら、生物多様性に与える重大なダメージとして科学的に判定されるのだろうか? また、仮に現地の農民が自ら利用する品種改良のため、組換え遺伝子を在来品種に導入していた場合、「民事責任」の範囲でその責任を問われることになるのだろうか? その際、国(行政)や種子開発者側にも責任が及ぶのだろうか?

世界各国、とくに途上国が組換え作物導入による利益を享受できるように、なんらかの救済策を整備しておくことに異論はない。しかし、商業栽培が始まって13年、組換え作物による生物多様性への重大な影響が一例も見いだされない中で進められる「責任と救済」の国際法作りには依然として不透明な点が多い。

おもな参考情報

トウモロコシ在来品種との交雑

Dalton R. (2008) Modified genes spread to local maize. Findings reignite debate over genetically modified crops. Nature 456.149. (改変遺伝子がトウモロコシ在来種に拡散、遺伝子組換え作物を巡る議論再燃)
http://www.nature.com/news/2008/081112/full/456149a.html

Quist & Chapela (2001) Transgenic DNA introgressed into traditional maize landraces in Oaxaca, Mexico. Nature 414: 541-543. (メキシコ・オアハカ州の伝統的トウモロコシ在来品種に組換えDNAが遺伝子浸透していた)
http://www.nature.com/nature/journal/v414/n6863/full/414541a.html

Ortiz-Garcia S. et al.(2005) Absence of detectable transgenes in local landraces of maize in Oaxaca, Mexico (2003-2004). Proceeding of National Academy of Sciences USA 102:12338-12343. (2003、2004年の調査からメキシコ・オアハカ地方のトウモロコシ在来品種に導入遺伝子は検出されなかった)

Pineyro-Nelson A. et al.(2009) Transgenes in Mexican maize: molecular evidence and methodological considerations for GMO detection in landrace populations. Molecular Ecology 18(4):750−761. (メキシコのトウモロコシ品種における導入遺伝子:分子生物学的証拠とメキシコの在来トウモロコシ品種における組換え遺伝子検出のための手法の考察)

Bellon & Berthaud (2004) Transgenic maize and the evolution of landrace diversity in Mexico. The importance of farmers’behavior. Plant Physiology 134: 883-888. (メキシコにおける遺伝子組換えトウモロコシと在来品種の多様度の進化.農民の行動の重要性)

カルタヘナ議定書「責任と救済」に関するメキシコ会合

会議概要の報告 (農水省)(2009/3/5)
http://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/kankyo/090305.html

メキシコ会合の概要(速報) 生物多様性条約事務局(2009/3/2) http://www.iisd.ca/download/pdf/enb09457e.pdf

メキシコ会合の結果報告書 生物多様性条約事務局(2009/3/25) http://www.cbd.int/doc/meetings/bs/bsgflr-01/official/bsgflr-01-04-en.pdf

農業と環境92号「GMO情報:カルタヘナ議定書の宿題」 http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/092/mgzn09210.html

農業と環境100号「GMO情報:カルタヘナ議定書の宿題「責任と救済」結論は2010年名古屋へ持ち越し」 http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/100/mgzn10009.html

農業と環境103号「GMO情報:カルタヘナ議定書発効5周年 〜ルーツの1992年から振り返る〜  http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/103/mgzn10307.html

(生物多様性研究領域 白井洋一)

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