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情報:農業と環境 No.115 (2009年11月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報: Btコーン、ヨーロッパの仮想リスクと北米の現実問題

米国農務省の穀物需給予測によると、2009/10 穀物年度の米国のトウモロコシ生産量は天候に恵まれ、2007/08 年度に次いで2番目の豊作になる見込みと発表された。昨年度も中西部(コーンベルト地帯)の大洪水にもかかわらず史上2位の豊作だったが、今年は昨年を上回り、単位面積あたりの収量は過去最高になると予測されている。一方でトウモロコシの栽培面積が増えることによって、環境への影響 (とくにチッ素肥料による水質汚染)を懸念する報告も相次いでいる。トウモロコシ栽培による水系環境への影響というと、2年前 (2007年10月) に著名な学術誌、全米科学アカデミー紀要 (PNAS) に 「Btトウモロコシはトビケラなど河川の水生生物に悪影響を及ぼす可能性がある」 という論文が掲載された(農業と環境91号)。この論文は1999年に Nature 誌に載った 「花粉飛散によるオオカバマダラ蝶(ちょう)への影響」 と異なり、日本ではメディアもほとんど取りあげず、論文の存在自体を知らない人も多いかもしれない。しかし、欧米では組換え作物推進側、反対側の双方が取りあげ、論争となった。

トビケラその後

Loyola 大シカゴ校の大学院生であった Rosi-Marshall らの PNAS 論文の要旨は以下のとおりだ。

1.インディアナ州の河川上流域ではBtトウモロコシの花粉や収穫後の残渣(ざんさ)(葉や穂軸)が多く流入している。

2.河川から採集したトビケラの腸内からトウモロコシ花粉が見つかった。

3.室内実験で、Cry1Ab トキシンを発現するBtトウモロコシの花粉や葉を大量(野外での観察値の2〜3倍量)に与えると、トビケラの摂食率、発育速度、生存率に悪影響が見られた。

4.Btトウモロコシの大面積栽培地域では、トビケラ類やこれをエサとする両生類や魚類にも予想外の影響を及ぼしている可能性がある。

しかし、この論文には、(1) Cry1Ab トキシンの殺虫対象外であるトビケラ類にほんとうに影響を及ぼすのか、(2) 河川中に残っている花粉や残渣がどの程度の毒性を保っているのか (通常、btトキシンの分解速度は速い)―― など多くの疑問点があった (詳細は 「農業と環境91号のGMO情報」 を参照)。

論文は、2008年1月、フランス政府がBtトウモロコシ(MON810)の商業栽培緊急停止(セーフガード)を主張した際、「新たに見つかった科学的根拠」 の1つとして採用され、その後もドイツやルクセンブルクの緊急停止宣言やヨーロッパの組換え作物反対派のキャンペーンに広く利用された。一方、組換え作物推進の研究者側も実験内容の不備を指摘し、論文の掲載を許可したPNAS編集部や研究資金を提供した米国科学財団(NSF)に抗議文を送った。激しいバッシングと政治論争に巻き込まれた Rosi-Marshall は、大きな精神ストレスを受け、今後の研究活動や就職先にも影響するのではないかと不安になったと言う (Nature、2009/9/3号)。幸い、彼女は2009年5月、ニューヨークの研究所で職を得ることができ、河川生態系における環境影響の研究を続けている。「論文の要約部分だけが一人歩きした。こんな論争に巻き込まれるとは想像もしていなかった」 と彼女は Nature 誌のインタビューで語っているが、今回の騒動では誤解を受けやすい不完全な論文に掲載許可を与えた PNAS 編集部と論文査読者の責任がもっとも大きいだろう。

Rosi-Marshall らの研究グループは、2009年1月に関連する論文を Ecological Application 誌に発表した (Griffiths ら、2009; Rosi-Marshall も共著者の一人)。「農地上流域におけるトウモロコシ残渣の急速な分解」 というタイトルで、インディアナ州北西部の農耕地の水源となる河川上流域3カ所でBtトウモロコシ残渣のトキシン濃度や水生微生物相を調査した。主な結果は以下のとおり。

1.トウモロコシ残渣は河川中で急速に分解され、微生物に吸収される。

2.Btトキシンの発現量は水中で急速に低下し、微生物の呼吸速度は非Btトウモロコシと比べても差がない。

3.前の実験(PNAS、2007)で用いたトビケラ種は今回の調査河川では発生量が少なく、河川生態系の主要な構成種ではない。

トウモロコシ栽培による水質汚染

この後、さらに続報がでるのか明らかではないが、大騒動となった2007年の PNAS 論文への答えとしてはいささか拍子抜けの感がある。彼女らの論文には、実験手法や結果から結論に至る過程にいくつかの欠陥があったが、考察で述べた 「バイオ燃料ブームによるトウモロコシ栽培の増加によって、コーンベルト地帯の水生生物は過剰なチッ素肥料などの環境ストレスにさらされている。さらにBtトウモロコシがストレスの原因となる可能性がある」 という指摘の前半部分は正しかった。

これを裏付ける論文が2009年9月に2つ発表されている。いずれも数理モデルによる推定であるが、トウモロコシは他の作物に比べて大量のチッ素肥料 (1ヘクタールあたり年間約135キログラム) を使用するため、多くのチッ素肥料 (硝酸態チッ素) が農地から河川に流れ込み、ミシシッピー川だけでなくメキシコ湾も汚染し、低酸素 (hypoxia) 海域を拡大するため、海洋生物や漁業に悪影響を及ぼす (Costelloら、2009)。これはトウモロコシの実ではなく、茎葉や穂軸などをバイオ燃料に利用する場合でも同じである。コーンベルト地帯の上流域でも、ダイズ・トウモロコシの輪作からトウモロコシ連作に移行すると、チッ素やリン酸肥料とともに殺菌剤による河川の汚染度が高まると推定されている(Thomasら、2009)。さらに最近の Science 誌(2009/10/23号)は、Costello ら(2009)の研究とともに 「トウモロコシ栽培は水を多く使うので米国の地下水源や農業用水不足を招く危険もある」 と報じている。

害虫抵抗性Btトウモロコシは殺虫剤使用量を大幅に減らし、除草剤耐性組換えトウモロコシもグリホサートやグルホシネートなど、他の除草剤に比べて環境への負荷の少ない除草剤の使用を可能にするなど、組換えトウモロコシが環境面で多くのメリットをもたらしたのは事実である。しかし、チッ素分を効率よく吸収し、少ないチッ素肥料でも栽培できる組換えトウモロコシは現在開発中であるが、商品化はまだかなり先である。河川やメキシコ湾の水質への悪影響は、組換え・非組換えに限らずトウモロコシ栽培面積の増加によって生ずる問題であるが、ネクイハムシ(コーンルートワーム)の被害などで難しかったトウモロコシの連作栽培を可能にしたのは、鞘翅(しょうし)目害虫抵抗性Btトウモロコシの登場による所が大きいのも事実だ (農業と環境87号)。不可能(連作)を可能にする技術を手に入れた北米のトウモロコシ産業であるが、環境問題を考慮した節度ある賢明な栽培体系を取り入れることができるかどうかが今後の大きな課題となるだろう。

ヨーロッパ グリーンピースと EFSA の不毛な論争

北米がトウモロコシ栽培による現実の環境問題に直面している中で、ヨーロッパでは相変わらず組換えBtトウモロコシの安全性をめぐって不毛な科学論争が続いている。ヨーロッパの組換え食品・植物の安全性を一括して審査する欧州食品安全機関(EFSA)は10月2日、組換え食品・植物に反対する環境団体 「グリーンピース」 と 「地球の友(フレンドオブアース)」 を招待して公開討論会を行った。焦点は欧州連合(EU)で唯一商業栽培が認可されているBtトウモロコシ (MON810) の安全性である。EFSA は6月30日に今後10年間の MON810 の商業栽培を再承認する 「再審査評価書」 を発表したが、グリーンピースと地球の友は7月29日にこの評価書を批判する科学レポートを出し、これを受けて EFSA は7月31日に 「われわれはグリーンピースと地球の友のレポートも検討する。その上で彼らも招待して公開討論会を開催する」 と応じた。公開討論は両者歩み寄ることなく、環境団体側は 「安全性審査そのものに問題がある。MON810 の安全性は証明されていない」 の論調に終始した。最初から予想された結果であるが、客観的に見て EFSA の科学的審査にも、やや問題ありの部分があった。

「EFSA による MON810 の審査に対する批判」 と題する科学レポートは、環境問題を Cotter 博士(グリーンピース)、食品安全問題を Mueller 博士(地球の友)が執筆した。2つの団体は細部では主義主張が異なるが、組換え体や農薬問題などで行政や企業を攻撃する際は共同歩調を取ることが多い。レポートでは環境、食品安全とも、悪影響の可能性を示唆した文献を選び出し、さらにそれらの文献の一部の記述のみを取りあげ、文献リストに載っていないデータも引用するなど科学論文としては欠点が目立つものだ。しかし 「非標的チョウ類への影響評価で、EFSA は数理モデルを使って悪影響は生じないと結論しているが、これらのデータは査読を受けた論文 (peer-reviewed) によるものではない」、「EFSA は我々の指摘に対して、いつも査読を受けた論文ではないと無視してきたではないか」 という指摘は正しかった。EFSA は再審査評価書(32〜38ページ)で、トウモロコシ花粉飛散による非標的チョウ類への影響をトウモロコシ栽培面積、チョウ類の食草の分布域など11の要因を取り入れた数理モデルを使って評価しているが、確かにこのモデルは論文になっておらず、その妥当性は匿名の研究者(専門家)による評価を得ていない。なぜ EFSA は、反対派から揚げ足をとられるような「科学的」評価を行ったのだろうか?

今回の審査対象のBtトウモロコシ (MON810) は、花粉でのトキシン (Cry1Ab) 発現量は検出限界値 (0.09 μg/g)以下と非常に少ない(表1)。しかし、葯(やく)(花粉をつくる袋状の器官)では 0.3 〜 6.65 μg/gのトキシンを発現するという報告が2007年にドイツの研究者から出された。北米では1999年のオオカバマダラ騒動をきっかけに、野外で非標的チョウ類への大規模調査を行ったが、ヨーロッパに分布するチョウ類に関して、北米の研究に相当するような実証データはない。そのため、数理モデルによって、イラクサを食草とする2種のタテハチョウとアブラナ科を食草とするコナガを例に、トウモロコシ花粉飛散による影響を推定した。コナガはキャベツなど野菜の害虫であり、非標的チョウ類の例としては不適当だと思うが、EFSA は数理モデルによってBtトウモロコシ(MON810)の花粉が周辺に最大量飛散した場合の影響を推定した。その結果、トウモロコシ畑周辺に分布するタテハチョウ幼虫の死亡確率は 0.06 〜 0.15 %、コナガ幼虫では 0.3 〜 0.8 %であり、「これらの非標的チョウ類が集団単位で存続にかかわるような悪影響は生じない」 と結論した。しかし、評価書では 「数理モデルによる推定には多くの不確実性がともなう。さらなる実証データの蓄積が必要」 とも述べている。これでは EFSA 自身が、「数理モデルによる推定は不完全」 と認めたようなものだ。グリーンピースはスイスの Aviron ら(2009)の論文も持ち出し (この論文も都合の良い部分だけを引用しているが)、「モニタリングや推理モデルでは非標的チョウ類への影響評価はできない。もっと十分な調査を行うまで、MON810 の商業栽培を認めるべきではない」 と主張したのである。

表1 Bt トウモロコシの花粉でのトキシン発現濃度

* US-EPA (米国環境保護庁) データ
系統 トキシン 花粉での発現濃度(μg/g)(*)  EUでの審査・承認状況
MON810Cry1Ab検出限界 (0.09) 以下今回の審査対象、再承認
Bt176Cry1Ab0.7 〜 7.1登録失効
Bt11Cry1Ab検出限界 (0.09) 以下承認審査待ち
TC1507Cry1F32承認審査待ち

今回の審査対象は MON810 であり、Bt176 でも TC1507 でもない。「MON810 は花粉ではBtトキシンをほとんど発現しない。葯では高濃度のトキシンを発現するが、葯は花粉と比べて飛散時期も量もきわめて限られており、花粉より大粒の葯をチョウ類幼虫が直接食べることはない。これらは多くの論文ですでに確かめられている。したがって、MON810 によるチョウ類幼虫への影響はほとんど無視できる程度である」 で済ませればよかったのである。他の系統についても 「花粉でのトキシン発現量の高い Bt176 はすでに登録が失効し、今後EUで商業栽培されることはない。TC1507 は花粉での発現量が高いがトキシン (Cry1F) の種類が異なる。この系統のリスク評価は別途行う」 ですむ話だ。

EUでは花粉飛散による影響だけでなく、土壌中での MON810 のトキシン (Cry1Ab) の残効についても、マイクロ(μ: 100万分の1)レベルでは納得できず、ナノ(n: 10億分の1)レベルでの研究が行われている。高度な分析機器と多額の研究費を使えばナノレベルでの検出は可能であるが、たとえ土壌やミミズの体内からトキシンが超微量検出されたとしても、実際にミミズの生存に悪影響を与えるわけではない。

組換え作物をめぐる論争の多くは科学的な実験や数理モデルによって、双方が納得できるようなものではない。現在わかっている明らかな事実から、実際にリスクがどの程度の確率で起こるのかを判断するしかないのではないか。反対する側が納得しない問題をさらに科学的手法や数理モデルによって解決しようとしても、組換え食品・植物に賛成でも反対でもない中立的な市民や科学者からは 「なぜこのような研究をやっているのか?」 と、かえって疑問や不信感を持たれるのではないだろうか。

おもな参考情報

北米のトビケラ騒動

Waltz (2009) GM crops: battlefield. Nature 461:27-32 (2009/9/3号) (組換え作物:戦場)
http://www.nature.com/news/2009/090902/full/461027a.html

Griffiths ら (2009) Rapid decomposition of maize detritus in agricultural headwater streams. Ecological Application 19:133-142 (農地上流域におけるトウモロコシ残渣の急速な分解)

農業と環境87号「GMO 情報: バイオ燃料と遺伝子組換え作物 −トウモロコシの連作を可能にした技術」
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/087/mgzn08707.html

農業と環境91号「GMO 情報: 北米の Bt トウモロコシ、農耕地生態系への想定外の影響」 http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/091/mgzn09107.html

トウモロコシ栽培が水系環境に及ぼす影響

Costello ら (2009) Impact of biofuel crop production on the formation in the Gulf of Mexico. Environmental Science & Technology 43(20):7985-7991. (バイオ燃料作物の栽培がメキシコ湾の低酸素海域形成に及ぼす影響)

Thomas ら (2009) Water quality impacts of corn production to meet biofuel demands. J. of Environmental Engineering 135:in press. (バイオ燃料需要に対応したトウモロコシ栽培が河川の水質に及ぼす影響)
http://news.uns.purdue.edu/x/2009b/090928ChaubeyWater.html

Service (2009) Another biofuels drawback: the demand for irrigation. Science 326:516-517. (2009/10/23号) (バイオ燃料、もう一つの欠点:農業用水)
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/326/5952/516

ヨーロッパの仮想リスク論争

EFSA(欧州食品安全機関)によるBtトウモロコシ (MON810) の再審査評価書 (2009/6/30)
http://www.efsa.europa.eu/cs/BlobServer/Scientific_Opinion/gmo_op_ej1149_maizeMON810_finalopinion_en_rev.pdf?ssbinary=true

グリーンピース・地球の友による EFSA 批判レポート (2009/7/29)
http://www.greenpeace.org/raw/content/eu-unit/press-centre/reports/review-EFSA-MON810-opinion-29-07-09.pdf

10月2日公開討論会の速報 (EFSA 2009/10/2)
http://www.efsa.europa.eu/EFSA/efsa_locale-1178620753812_1211902922423.htm

Aviron ら (2009) Case-specific monitoring of butterflies to determine potential effects of transgenic Bt-maize in Switzerland. Agriculture, Ecosystems and Environment 131:137-144. (スイスでの組換えBtトウモロコシ栽培によるチョウ類への影響の可能性を決定する事例別モニタリング法)

(生物多様性研究領域 白井洋一)

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