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農業と環境 No.123 (2010年7月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報: COP10/MOP5まであと100日 論争の溝は埋まるのか

今年(2010年)10月、名古屋市で開催される第5回カルタヘナ議定書締約国会議 (MOP5)(11〜15日) と第10回生物多様性条約締約国会議 (COP10)(18〜29日) まで、あと100日。里山・里海運動など環境保全や自然保護団体の活動も活発になってきた。華やかなイベントとともに、COP10/MOP5は国際交渉の場でもあり、「遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS)」(COP10) と 「責任と救済」(MOP5) では、これまでの事務レベル交渉でも各国間の意見対立が続いている。ABS(Access and Benefit Sharing) は、生物遺伝資源から得られる「利益」をめぐって、利益をより多く確保したい側と過大な負担を請求される側との対立だ。難しい問題だが、争点は経済(金銭)であり、わかりやすい。一方、遺伝子組換え生物によって起こる 「損害(ダメージ)」 に対する 「責任と救済(補償)」 は、国境を越えた移動によって組換え生物が生物多様性の保全と持続的な利用に対して大きな損害を与えた場合の対策であり、「経済」 が直接の対象ではない。強い救済措置を主張する側も、「どんな損害が生ずるのか」、その具体例を示さないため、交渉は空転・難航してきた。3回目の事務レベル交渉(共同議長フレンズ会合)が6月15〜19日にマレーシアで開催された。

「責任と救済」 これまでの道のり

2001年1月に難産の末採択されたカルタヘナ議定書では、「第27条、責任及び救済」は以下のように中味を決めず先送りとなった。

「この議定書の締約国の会合としての役割を果たす締約国会議は、その第一回会合において、改変された生物の国境を越える移動から生ずる損害についての責任及び救済の分野における国際的な規則及び手続を適宜作成することに関する方法を、これらの事項につき国際法の分野において進められている作業を分析し及び十分に考慮しつつ採択し、並びにそのような方法に基づく作業を四年以内に完了するよう努める。」

つまり、第1回締約国会議 (MOP1、2004年1月) から4年以内に条文の中味を作ることになっていた。この間、「この条文は不要、いや必要だ」、「たとえ入れるとしても法的拘束力のない指針(ガイドライン)とするべき、法的拘束力がなければ意味がない」 と紛糾し、4年目の2008年5月のMOP4(ドイツ)で 「法的拘束力のある文書を作ること」 でようやく合意が得られ、2010年のMOP5(名古屋)で採択をめざすことになった。2009年2月に1回目の作業部会(共同議長フレンズ会合)がメキシコで開催され、空白の議定書「第27条」に書き込むのではなく、さらに別途、「補足議定書」を作ることになった。しかし、2010年2月にマレーシアで開催された2回目のフレンズ会合では、用語の定義、議定書の適用範囲など基本的な部分で意見対立が再燃した。対立は先進国対途上国というより、アフリカ諸国・マレーシアなど組換え生物輸入国側とブラジルなど組換え生物生産・輸出国側との間で意見の隔たりが大きかった。3回目の会合は6月にモントリオール(カナダ)で予定されていたが、再びマレーシアで6月に開催されることになった。

2010年6月マレーシア会合

2月のマレーシア会合で残されたおもな論争点は以下の5項目だった。

(1)事業者(operator)の対象範囲

(2)「損害の緊急に差し迫った脅威(imminent threat of damage)」を対象とするか

(3)「組換え生物だけでなく、組換え生物から作られる産物(製品)」も対象とするか

(4)事業者に対する財政的保障の義務付け

(5)「民事責任に関する規定」の各国国内法の位置付け

(2)の 「(国境を越えて生じる)損害の緊急に差し迫った脅威」 は会合初日から議論され、タンカー座礁による原油流出や汚染物質による海洋汚染に対する責任と救済措置を定めた国際法が参考例として示された。タンカーではないが、今年4月20日に起こったメキシコ湾海底油田の爆発、原油流出事故による海洋生物への影響を伝える報道を見ていると 「生物多様性に対する著しい損害だ」 と多くの人が納得するだろう。現時点では米国の海岸地帯のみに被害を与えているが、流出した原油がメキシコやキューバの沿岸にも達すれば 「国境を越えた移動の結果生じた損害」 となり、メキシコやキューバは米国や油田開発企業に早期の回復と賠償を求めるだろう。しかし、遺伝子組換え生物(作物)でこのような事故や損害が起こるのだろうか?

メキシコ湾油田事故は経済的には日本にも影響を及ぼしている。米国の商社がメキシコ湾のエビに代わって東南アジア産のエビ (ブラックタイガー) を大量に買い付けたため、東京・築地市場の卸値は2〜3%上昇したという(日経新聞、2010/6/2)。さらに原油流出が9月以降も続き、ニューオリンズ港や付近の運河に流入すると、トウモロコシやダイズの輸出にも影響する可能性があるかもしれないと、米国農業紙(デルタファームプレス、2010/6/15)は伝えている。穀物輸送船に付着した原油の洗浄にコストがかかるし、ミシシッピー川を経由しないで米国中西部の穀物地帯から貨車便で直接太平洋岸の港に輸送して輸出すると、さらに新たなコスト負担になるというのだ。なかなか予測しにくい損害だが、いずれにしても生物多様性への影響ではなく、経済的な問題である。

議定書本体から遠ざかる補足議定書

損害の実像ははっきりしないが、もし万が一のことを考えて 「責任と救済」 制度を作ることによって、途上国側が安心して組換え生物(作物)の輸入・利用を促進できるとしたら、この補足議定書は意味があるのかもしれない。しかし、「責任と救済」 に関する厳格な条文を作ること自体、カルタヘナ議定書の他の条文との間に矛盾が生じてくる。議定書は第7条で 「国境を越えた移動(輸入)にあたり、事前の情報提供に基づくリスク評価を経た合意の手続きの適用」 を定めている。つまり、「輸出側の事前通告 → 輸入国側によるリスク評価 → 輸入承認の可否」 が議定書全体を貫く根幹となっている。

今回の補足議定書では、勝手に許可なく企業が相手国に持ち込むのではなく、利用目的、組換え生物の特性、遺伝情報などを事前に通知し、相手国の審査を経て認められたものをおもな対象としている。輸入国に交雑しやすい野生生物が広く分布し、雑草のように分布を広げやすい性質を持つ組換え生物なら、そう簡単に輸入国は承認しないだろう。リスク評価(安全性審査)には食品の安全性も含まれている。輸入国側が現時点での科学的知見を総合して、「輸入を許可しても自国の生物多様性や人の健康に影響を及ぼすおそれはない」 と判断したものを、さらに 「もし万一、自国の生物多様性に著しい損害を与えた場合」、その責任主体を明確にし、救済・賠償措置を作れと求めたのが、「責任と救済」 だ。「自国の生物多様性に悪影響なしと認めた組換え生物で、いったい、どのような重大な損害が生じるのか? どんな例を想定しているのか?」 という疑問が交渉を通じて何度も出されたが、厳格な責任と救済措置を要求する国やNGOから、具体的な事例が示されることはなかった。

補足議定書では、輸出側の事前通告によらない国境を越えた移動も対象に含まれている。非意図的な導入や違法(不正)な国内持ち込みも対象となるが、このような持ち込みで生物多様性に重大な悪影響を及ぼすとしたら、生物兵器やバイオテロに用いる組換え微生物の類であろう。しかし、テロリストがカルタヘナ議定・補足議定書にしたがって、責任を認め、救済(補償)に応ずるとは考えられないし、このような犯罪行為に対して、カルタヘナ議定書や補足議定書の内容ではとても対応できない。

名古屋に残された課題

6月24日、外務省・農水省から発表されたマレーシア会合の結果概要によると、補足議定書全21条のうち、2項目を除いて、各国間で基本的な合意ができ、名古屋での議定書採択に向けて着実な進展が見られたという。「損害の緊急に差し迫った脅威」 に関する文言も採用されない見込みだ。残された2項目とは、「対象に遺伝子組換え生物だけでなく、組換え生物から作られた産品も含めるかどうか」(範囲対象) と 「財政的保障」 であり、MOP5直前の10月6〜8日に名古屋で第4回フレンズ会合を開催し、さらに交渉を行うこととなった。もし、補足議定書で組換え生物から作られる 「産物(製品)」 も対象に入れることになれば、カルタヘナ議定書の定義から逸脱することになり、もはや補足議定書ではなく、独立した別の議定書になってしまう。今回、合意された文書案では、「補足議定書で用いる用語は、元の議定書と同様に適用しなければならない」 とわざわざ念を押すように記されているが、どのように決着するのだろうか。

当初、最大の懸案事項と考えられていた民事責任に関する指針(ガイドライン)作りも未完成であるが、MOP5期間中に作業が進むのか不明だ。とりあえず補足議定書を採択し、付随の作業は先送りになるのかもしれない。現在商業栽培されている組換え作物では、生物多様性の保全や持続的利用に対して著しい悪影響を及ぼした例は報告されていないし、人の健康への悪影響も確認されていない。重大なリスクが緊急に迫っているとは考えられないので、先送りにしても実際には支障はないだろう。しかし、今後も不毛とも思える国際規約作りのための交渉が続くとしたら、資源・資金の効率的利用という点で疑問を持たざるを得ない。

NGO、市民団体も展示や情報発信活動

10月の締約国会議ではNGO(非政府団体)やNPO(民間非営利団体)も会場内にブースを設け、さまざまな活動を行う。グリーンピースやフレンドオブアース(地球の友)など海外からも多くの環境団体が参加することだろう。国内では昨年1月、さまざまな団体により 「生物多様性条約(CBD)市民ネットワーク」 が組織され、シンポジウムや 「100日前カウントダウンイベント」 などで本番を盛り上げている。CBD市民ネットワークには遺伝子組換え食品反対を掲げる団体が組織した 「食と農から生物多様性を考える」 も参加しており、6月2日に 「組換え作物は生物多様性を破壊し食の安全を脅かす」 と題する 「科学レポート」 をリリースした。「除草剤抵抗性雑草の拡大」 や 「Bt作物での殺虫対象外害虫」 など一部は正しい情報もあるが(農業と環境122号)、多くはインターネット記事を引用したもので、根拠となる原著論文が示されていない。また、「Btトウモロコシ花粉でオオカバマダラ蝶が死んだ」 のように10年前の古いトピック(農業と環境94号)について、その後の検証結果を追跡していない例も多い。意図的なのか作者の調査不足かは不明だが、科学レポートとしてはレベルが低いと言わざるを得ない。10月のイベント本番までまだ時間があるので修正版を出した方が良いのではないか。

CBD市民ネットワークには、日本野鳥の会、WWF(世界自然保護基金)ジャパン、日本自然保護協会など歴史のある著名な団体が参加し、地域環境管理学や保全生態学が専門の大学教授が共同代表者となっている。ネットワークの設立目的には 「生物多様性条約の目的の達成に向けて、これまでに蓄積した知見と経験を共有し、締約国はじめ多様な主体に対して、地球規模課題の解決に向けた合理的な提言および情報発信を行うために設立」 と書かれている。その点でネットワークや各団体の活動に期待したいが、あまりに非科学的・不正確な情報発信を許容すべきではないだろう。

おもな参考情報

国際交渉関連

「第3回共同議長フレンズ会合の結果概要」(外務省・農水省、2010/6/24)
http://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/kankyo/100624.html

第3回フレンズ会合に提出された「損害の差し迫った脅威」に関する参考資料
http://www.cbd.int/doc/meetings/bs/bsgflr-03/information/bsgflr-03-inf-02-en.pdf

カルタヘナ議定書に関する資料(環境庁)
http://www.bch.biodic.go.jp/bch_1.html

農業と環境119号 GMO情報「カルタヘナ議定書の宿題「責任と救済」、10月名古屋採択に黄色信号」
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/119/mgzn11903.html

市民団体の活動

「COP10MOP5  100日前イベントのお知らせ」(環境省、2010/6/21)
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=12636

生物多様性条約(CBD)市民ネットワーク(役員リスト)
http://www.cbdnet.jp/ja/about-us/staff.html
(ページが見つかりません(2011年4月にNGOが解散) 2011年6月)

「食と農から生物多様性を考える市民ネットワーク」参考資料
http://fa-net-japan.org/category/%E5%8F%82%E8%80%83%E8%B3%87%E6%96%99/
(URLが変更されました 2011年9月)

農業と環境94号 GMO情報「オオカバマダラ再び ―都合の良い科学的根拠の引用法」
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/094/mgzn09405.html

農業と環境122号 GMO情報「組換え作物のメリットとデメリット」
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/122/mgzn12205.html

白井洋一(生物多様性研究領域)

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