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農業と環境 No.163 (2013年11月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 植物の灰や煙に含まれる化学物質が種子の発芽と幼植物の生長を促進する

Regulation of Seed Germination and Seedling Growth by Chemical Signals from Burning Vegetation
D. C. Nelson et al.
Annual Review of Plant Biology 63, 107-130 (2012)

森林や草原を 「焼く」 という行為は、人類の営みにおいて古くから行われてきました。その目的として、土地の開拓・農業への利用などが挙げられます。世界的にみると、熱帯地方で行われている焼畑農業が最もよく知られています。これは、土壌改良や雑草・害虫・病原体の防除効果から理にかなっているものの、適切な実施には経験と技術が必要であり、安易な焼畑は環境破壊につながるという指摘もあります。日本でも昔は山間部を中心に焼畑農業が営まれていましたが、現在も継続されている地域はごく限られています。また、草原は緑肥などに利用する草本の大切な供給源であったことから、これを維持するための野焼き(山焼き)が、日本各地で伝統的に行われてきました。降雨量の多い日本では、多くの場合、草原を放置すると樹木が生えてきて、やがて森林になってしまいます。このような植生の遷移(せんい)をとめ、草原を維持する目的で、春先に野焼きが行われているのです。

焼畑農業や野焼きのほかに、自然発生や人間の不注意による山火事も、植生の遷移を考える上で無視できません。地中海性気候など降雨量の少ない地域では山火事が発生しやすく、ひとたび発生すると消火活動が困難であることから、広大な面積の植生が消失してしまいます。しかし、草木は再び生えてきます。これは単に空間が空(あ)いており、水や日光を利用しやすいことだけによるのではありません。じつは、以下のような理由で、焼かれた後の土壌は植物の生長に適しているのです。植物の灰は中和作用により酸性土壌を改良します。その場所にいた害虫や病原菌の密度は減少し、植物に対する食害や病気が発生しにくくなります。さらに、土壌中の種子は、休眠状態から目覚めて発芽しやすい状態になっています。燃焼によって生じるこのような現象は、古くから知られていました。

さらに近年、植物の灰や煙に含まれている化合物が、種子の発芽や幼植物の生長を促進していることが明らかになってきました。この現象も、燃焼によって失われた植生の再生に寄与していると考えられています。今回取り上げた総説は、このような化合物に関する研究成果をまとめたものです。

植物の灰に種子の発芽を促す成分が含まれていることは、1970年代に論文として報告されています。1990年代には、植物を燃やした際に生じる煙にも同様のはたらきがあることがわかりました。この成分の活性は非常に強く、わずか1 pg (10-12 g) で Nicotiana attenuata の種子1粒を発芽させることができると計算されました。2004年に、紙を燃やしたときに生じる煙を通した水から活性成分を単離し、各種の機器分析により解析した結果、その化学構造は 3-methyl-2H-furo [2,3-c] pyran-2-one (図) だったという論文が、Science 誌に掲載されました。この化合物は2005年に実験室内で合成され、その合成品も天然由来成分と同一の分析結果と活性を示したことで、前年に提唱された構造が正しかったことが証明されたのです。一連の研究はオーストラリアのグループによってなされたことから、この化合物はカリキン (karrikin) と命名されました (先住民のアボリジニーが用いる karrik という単語は「煙」を意味する)。その後も、煙を通した水から類似した構造の化合物がいくつも発見されましたが、活性が強く含量も多い KAR1 (図の構造) がおもに効いていると考えられています。

KAR1の化学式

図 煙から単離された 3-methyl-2H-furo[2,3-c]pyran-2-one (KAR1) の化学構造

もし大部分が煙とともに大気中に拡散してしまうなら、 KAR1 は植生の再生にあまり関与していないように思われるかもしれません。しかし、この研究グループによると、 KAR1 の大部分は燃焼した植物の残渣(ざんさ)に留(とど)まっていることがわかっています。森林や草原の燃焼が起こると、灰による土壌改良、植物生長阻害物質を含む植物残渣の除去、光条件の変化などがもたらされます。この総説では、「それらの要因に加え、雨期になると灰の中の KAR1 が土壌中に溶け出し、休眠性の植物種子の発芽を誘導する現象も植生の再生に貢献している」という説が提唱されています。

ちなみに、 KAR1 の発見以前には、活性成分は一酸化窒素(NO)ではないかと推定されていました。しかし現在では、補助的に機能している可能性はあるものの、NO はおもな活性物質ではないと考えられています。また2011年には、 KAR1 と同じように煙を通した水から単離された cyanohydrin も、シアン化物イオンを放出することで種子の発芽促進に寄与していることが明らかにされています。

加茂綱嗣(生物多様性研究領域)

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