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農業と環境 No.172 (2014年8月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 345: 基準値のからくり、 村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 著、 講談社(ブルーバックス)(2014年6月) ISBN978-4-06-257868-4

基準というものは、考えるという行為を遠ざけてしまう格好の道具である。
(ウイリアム・セジウイック、1855-1921)

人生は、危険でいっぱいである。食べたら危険!! 飲んだら危険!! 吸ったら危険!! 触れたら危険!! 近づいたら危険!! 漏れたら危険!! 逃げないと危険!! 等、切りがない。古来から人類は “危うき” に接したとき、先祖からの教えや自らの感性に基づき、危ういか否かの判断を自らで下し、危険を回避してきた。これに加え近代は、国家や権威のある機関が定める基準値という “拠り所” に従い、社会として対処するようになった。

本書は、新進気鋭の4名のリスク研究者がまとめた、さまざまな安全に関する基準値の “根拠” を紹介するものである。分担執筆であるが、その主張は全編を通じて、一貫している。なお、著者の一人、永井孝志は農業環境技術研究所の主任研究員である。

著者らが本書で主張したいことは、各論に入る前の [まえがき」 や 「プロローグ」 で、よく整理されている。まず、多くの基準値には、4つの共通する特徴 ( (1) 従来型の科学だけでは決められない。(2) 数字を使い回してしまう。(3) 一度決まるとなかなか変更されない。(4) 法的な意味は様々である。) があるとし、権威化しやすい基準値の本質を看破している。

続いて、基準値やその元となるリスクの概念について、以下のように主張を展開する。

1)基準値とは私たちが社会で安心して暮らしていくためのセーフティネットの無数の束であり、基準値の根拠を知ることは、この世界の意思決定の仕組みを知ることである。

2)私たちはなんとなく 「安心」 は主観的な感情で、 [安全」 という状態は客観的・科学的に定められると考えがちだが、安全とは、危害・損傷・損失などが起こる 「心配」 がない状態であり、そこにはそもそも、心理的な要素が含まれている。すなわち、基準値には主観的な推定と仮定の要素がきわめて大きく関与している。いわゆる従来型の科学だけでは、基準値を決めることはできない。

3)万人にとってリスクがゼロであることを約束するような基準値はほとんどない。安全を 「受け入れられないリスクのないこと」 と定義し、「受け入れられないリスク」 がどれくらいかについて社会が合意を持つことで、安全という抽象的な概念が具体的・定量的に議論できるようになる。

4)「受け入れられないリスク」 は時代や社会、文化的慣習のなかではぐくまれるものであり、自然現象を物理学で解き明かすようには決められない。

5)欧米では10万人に1人のリスクが 「受け入れられるリスク」 のボーダーラインとなっている。残念ながら日本では、「受け入れられないリスク」 に関する研究は遅れており、「受け入れられないリスクの水準はどれくらいか」 という議論はほとんどなされていない。たいていの場合、海外で使われている数字をそのまま輸入している。

各論では、第一部 飲食物に関する基準値、第二部 環境にまつわる基準値、第三部は事故に関する基準値が紹介され、それぞれの基準値の “生い立ち” が紹介される。徹底して基準値の数字の根拠に迫る。根拠が理解されれば、対処も変わってくる。各論の記述は、読者に迎合することなく、丁寧かつ専門的に深く、読みごたえがある。

興味深いコラムだけ拾い読むのもおもしろい。特に3秒ルールに関する考察は秀逸である。「床に落ちた食べ物は3秒以内に拾えば食べられる」 という “伝承” を科学的に検証する。3秒ルールの世界性・歴史性について社会学的考察、科学的に “まじめに” 研究しイグ・ノーベル賞となったことなど、良く調べられており感心する。

本書のような、世の中の基準値を横断的に俯瞰(ふかん)した類書は見たことがなく、新鮮に読むことができる。読めば読むほど、著者らの述べるように、「安全やリスクをどのように管理すべきかという問いは、つきつめれば、どのような環境や暮らしを求めているかという価値観の問題になる。」 ことがあらためて理解される。

目次

少し長い「まえがき」

本書の構成と読み方

プロローグ

第一部 飲食物の基準値

第1章 消費期限と賞味期限

第2章 食文化と基準値

第3章 水道水の基準値

第4章 放射性物質の基準値

第5章 古典的な決め方の基準値

第二部 環境の基準値

第6章 大気汚染の基準値

第7章 原発事故「避難と除染」の基準値

第8章 生態系保全の基準値

第三部 事故の基準値

第9章 危険物からの距離の基準値

第10章 交通安全の基準値

あとがき

参考文献

さくいん

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