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農業と環境 No.186 (2015年10月1日)
国立研究開発法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 牛乳生産に影響することなく乳牛からのメタン放出を減らす薬

An inhibitor persistently decreased enteric methane emission from dairy cows with no negative effect on milk production
Alexander N. Hristov et. al.
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
vol. 112, No.34, p.10663-10668 (2015)

地球温暖化は人類が直面しているもっとも大きな環境問題の一つで、その原因はおもに二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素といった温室効果ガスの大気中濃度の増加です。これらのガスのうちメタンはメタン生成古細菌という酸素のない環境でしか生きることのできない一群の微生物によって生成されます。メタン生成古細菌は牛やヤギ、羊などの反芻(はんすう)動物の消化器官や湛水(たんすい)中の水田土壌など酸素のない環境に生息します。このため牛のゲップや水田がメタンの主要な発生源となっています。ここで紹介する論文では、牛の第一胃(ルーメン)に生息するメタン生成古細菌を制御して 30 %ものメタン発生が削減できるという新技術が報告されています。

アメリカでは一年間のメタン生成量の4分の1程度が反芻家畜由来とされ、その削減が重要な課題になっています。このためこれまでにメタン生成古細菌のメタン生成経路を阻害しその発生を削減する技術が検討され、いくつかの効果的な阻害剤が見いだされてきました。しかしそれらの阻害剤は、家畜の健康や畜産物の安全性あるいは環境などへのマイナスの影響が懸念されるものでした。したがって有効な阻害剤を見いだして利用するためには、候補となる化学物質が農家に似た条件で飼育された家畜において効果的にメタンの発生を削減し、かつ家畜の生産性(例えば産乳量を低下させない)や環境に影響しないことを実証する必要があります。

これまでにメタン生成に関与する酵素(メチルコエンザイムMレダクターゼ)の阻害剤として3-ニトロキシプロパノール(3NOP)という化学物質が見いだされ、羊や肉牛などでメタン削減効果が確認されていました。しかし飼育の期間が短いなど実際の畜産の現場とは異なる条件で検討されたものでした。そこでこの研究では、乳牛(ホルスタイン)を用いた大規模で長期的な実験を実施し有効性を検証しています。具体的には、48頭ものホルスタインを飼育して低濃度から高濃度までの3つの異なる濃度の3NOPを与え、乳牛の排出するメタンの量(ゲップに含まれます)や体重の変化、産乳量などさまざまなデータを12週間にわたって取得し、解析しています。

その結果、3NOPの効果は驚くべきものでした。3NOPを与えはじめて2週間目で25〜32%ものメタンの減少が観察され、この削減効果は実験が終了する12週目までずっと維持されたのです。さらに特筆すべき点は、3NOPの乳牛の乾物摂取量(食べた飼料の量)や産乳量などへのマイナスの影響が確認されなかったことです。むしろ実験期間中に乳牛の体重が増加傾向にあったことが認められました。この理由は、メタン生成のために使われていたエネルギーが体重増加へ利用されたと推定されましたが、詳細なメカニズムの解明にはさらなる実験が必要と思われます。

今回紹介した論文は、以前から実験的に確認されていた3NOPの乳牛に対するメタン削減効果を、長期間に及ぶ精密な飼育実験により実証し、メタン生成古細菌をターゲットとした化学物質によるメタン削減技術の実用化の可能性を示した優れた内容といえます。しかし3NOPの乳牛への経年的影響や排泄(はいせつ)された3NOPの動態についてさらに多くの検討が必要だと思われます。

早津雅仁 (生物生態機能研究領域)

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