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情報:農業と環境 No. 58 (2005.2)

No.58 2005.2.1
独立行政法人農業環境技術研究所
No.58
・「情報:農業と環境」へのアクセスが311,111件目の方に記念品を贈呈!
・写真展の紹介「アジアを歩く−農とくらしの風景−」
・「環境ホルモン戦略計画SPEED’98」の改訂
・農業環境研究:この国の20年(14)将来の夢
・農林水産技術会議事務局「研究成果」シリーズの紹介(7): 92.農用地土壌の特定有害物質による汚染の解析に関する研究
・論文の紹介:加工用トマト栽培に使用された農薬の環境影響評価
・本の紹介 156: 環境リスク学−不安の海の羅針盤−、 中西準子著、日本評論社(2004)
・本の紹介 157: 世界食料農業白書2003−2004、 FAO編、国際食糧農業協会訳、農山漁村文化協会(2004)
・本の紹介 158: 世界分類学イニシアティブの手引き、志村純子・松浦啓一編著、東海大学出版会(2004)
・本の紹介 159: 農業本論、新渡戸稲造著、東京裳華房発行、明治31年(1898)
・資料の紹介:必然としての生物多様性−その保全と持続可能な利用−
・欧州環境庁と国連環境計画欧州地域事務所の共同報告書「自然的価値の高い農地−その特徴、動向および政策課題−」
 

「情報:農業と環境」へのアクセスが311、111件目の方に記念品を贈呈!

「情報:農業と環境」は、国の内外の農業と環境にかかわる情報をお知らせするページとして、平成12(2000)年5月1日に開設されました。その後、毎月1日に、読者のみなさまに最新の情報を提供し続けて、今回で58号になりました。

この間、5年近くの歳月が経過しました。最初の1ヶ月目のアクセスは676件でしたが、1年経過した2001年の5月には、月2,839件に上昇しました。その後も、アクセス数は上昇し続け、2002年1月には月4,696件、2003年1月に8,455件、2004年1月には12,500件にもなりました。さらに若干の浮き沈みはありますが、2004年6月からは、1ヶ月あたり10,000件前後のアクセスが続いています。

2004年3月の47号では、「200,000件目の方に記念品を差しあげます」というお知らせをしました。

それから1年足らずの間に、開設以来の訪問者の数は30万人を越えました。そこで、今回は、311,111人目の方に記念品を差しあげることにしました。記念品は、農業環境技術研究所の名前が入ったTシャツとボールペンです。「情報:農業と環境」の画面の最上部右側に訪問回数を示すカウンターがあります。ここに、「0311111」の数字が表示された方は、その複写を以下のところにお送りください。記念品をお送りします。併せて、当所で年4回発行している「農環研ニュース」も次号からお送りします。

複写送付先: 農業環境技術研究所 企画調整部 研究企画科長 谷山一郎

305-8604 茨城県つくば市観音台3-1-3

TEL: 029-838-8180 FAX:029-838-8199 e-mail: erosion@affrc.go.jp

 

写真展の紹介「アジアを歩く−農とくらしの風景−」

つくばの農林団地にあるつくばリサーチギャラリーで、岡 三徳写真展「アジアを歩く」が開催されています。そこでは、「農とくらしの風景」をサブテーマに、作者が東南アジアと中央アジアで撮影した34点の写真を見ることができます。写真展では、さまざまな国の農村や人びとの暮らし、豊かな農産物がならぶマーケット、そして作者が出会った多くの人びと、生き生きとした子供たちの笑顔に出会うことができます。作者が国際農林水産業研究センター(JIRCAS)や国際協力事業団(JICA)などで研究に従事した合間や、国際協力のために現地調査をしたときに撮られたものです。写真から、作者の20数年間の研究の歴史を読み取ることもできます。写真に見える子供たちの笑顔から、作者の人柄までが想像できます。

また写真は、冷涼で乾燥した中央アジアのシルクロードの農業、山岳部、平原、デルタ地域、さらには島嶼(とうしょ)などの東南アジアの農業まで、さまざまな農の風景を見せてくれます。たとえば、ミャンマーの中央平原でくりかえされる乾季と雨季、起伏のある地形に合わせた土地と水利用、作物や品種を選び育てる人々のくらしなどが見られます。

また、雨が多く自然が豊かなジャワ島では、高度な土地利用による集約型農業の姿が見られます。水田を前にした山麓に、木々に囲まれた集落と里山の風景が形作られている姿もジャワ島の特徴としてうまく表現されています。しかし最近では、こうした各地の風土や気候の中で育まれてきた伝統的な農村の風景や、人々のくらしも大きく変化してきています。

展示されている写真の中には、現地ではもう見ることのできない20年も前の風景もあります。おしなべて、東南アジアと中央アジアの伝統的で豊かな「農とくらしの風景」が楽しめる内容になっています。なお写真の作者は、当所の生物環境安全部の部長です。3月31日までご覧いただけます。お見逃しのないように。

岡 三徳写真展「アジアを歩く − 農のくらしと風景 −」

会場:  つくばリサーチギャラリー(茨城県つくば市観音台3−1−1)

ホームページ:  http://trg.affrc.go.jp/

開催期間:  平成17年1月5日〜3月31日

開館時間:  月〜金曜日    午前9時〜午後4時

土・日曜日・祝日 午前10時〜午後4時

入場料:  無料

問い合わせ先:  029−838−8980

 

「環境ホルモン戦略計画SPEED’98」の改訂

環境省(当時は環境庁)では環境ホルモン(内分泌かく乱物質)問題に対応するため、1998年に「内分泌攪乱化学物質問題への環境庁の対応方針について−環境ホルモン戦略計画SPEED'98−」を策定し、環境ホルモンに関する研究や環境中における濃度実態の調査などを行ってきた。

このたび、SPEED'98策定から5年が経過したことから、今後の環境ホルモン問題への取組みについて見直すため、SPEED'98の改訂について検討し、「化学物質の内分泌かく乱作用に関する環境省の今後の対応方針(案)」を取りまとめた。この案は、広く国民の意見を募集するパブリック・コメント(1月28日締切り)の後、3月までに確定されることになっている。

パブリック・コメント募集要項の添付資料として提示された案、「化学物質の内分泌かく乱作用に関する環境省の今後の対応方針について」は、http://www.env.go.jp/info/iken/h170128a.html から閲覧できる。この案の概要に記載された「II 今後の方向性 1.基本的な考え方」を以下に抜粋する。

○内分泌かく乱作用が注視されることになった発端は、野生生物の生殖異常とホルモン作用を持つ物質の暴露の関連が指摘されたことによる。野生生物における異常の把握は、生態系を視野におく化学物質対策の原点である。しかしながら、生態系への影響を実験によって検証することは困難である。また、わが国では継続的な野生生物の観察が十分行われていないとの指摘がある。そこで「野生生物の観察」を推進することにより生物個体(群)の変化を捉え、生態系への影響を推定する。

○生態系やヒト健康への影響を捉えるためには、暴露の視点が重要であり、「環境中濃度の実態把握及び曝露の把握」が必要である。

○内分泌かく乱作用のメカニズムを解明するために、まず個体に対してどのような変化が観察されるのかを把握することが重要であり、個体レベルのアプローチが必要である。併せて、細胞・分子レベルでの変化を捉え、個体レベルと細胞・分子レベルの関連性を明らかにしていくことが重要である。このような「基盤的研究の推進」が求められる。

○これまで、化学物質の内分泌かく乱作用による「影響評価」の方法として、メダカとラットを用いた試験を開発し、20物質以上の試験物質について試験を実施してきている。今後は、生態系への影響を中心とした評価手法の確立と試験の実施が重要である。具体的な試験実施の際は、新たな科学的知見の集積、取組むべき物質の範疇自体の変容などへ対応するため、予め作成した物質のリストから選定し試験するのではなく、物質選定の考え方、評価の流れを明確にしておく。

○化学物質対策のうえでは、内分泌かく乱作用に着目したデータのみでなく様々な有害性評価の観点から得られたデータとともに暴露状況を踏まえ、総合的に「リスク評価」を行い「リスク管理」へと繋ぐ視点が重要である。

○科学的に不明確なことが多い中、仮説が根拠となり漠然とした不安を招かないため広く正確な「情報提供」を行い、化学物質についてリスク、利便性、コスト等様々な観点を踏まえた理解を深めるため「リスクコミュニケーション」を推進する必要がある。また、子どもたちが将来、内分泌かく乱作用を含めた化学物質との向き合い方を自ら選択できる力を涵養するための「環境教育」が重要である。

 

農業環境研究:この国の20年(14)将来の夢

「情報:農業と環境」のNo.46からNo.57にわたって、「農業環境研究」シリーズをお届けしてきた。それは、序章に始まり10項目の課題を紹介し、終章で終わっている。このシリーズの最後にお届けするのは、農業環境研究の「将来の夢」の一部である。ほかにもまだまだ重要な分野があると思うので、読者の知見をお聞きしたい。忌憚(きたん)のない批判と柔軟なアイデアを歓迎します。

1)窒素、炭素、硫黄、リンの代謝と循環

この4つの元素は、自然界、とくに土壌圏でいずれも生化学的な代謝に関わる。その結果、代謝産物のうち水に溶解する物質は水圏に移行し、ガス化する物質は大気圏に拡散する。これらの物質の循環を量的にとらえ、物質の流れを制御する技術を開発しなければ、真の意味での環境保全はない。とくに、リンの環境中でのガス化についての代謝研究および自然循環過程におけるリン代謝の研究例はきわめて乏しい。農業環境研究の立場からこれらの研究を遂行することは、即、地球規模での物質循環の研究にもつながる。

2)地形連鎖の機能

山林・草地・畑・水田・河川・湖沼などからなる地形連鎖は、一つの生き物のように連動している。畑から地下水に浸透した硝酸態窒素がそのまま河川に移行すれば、河川や湖沼の富栄養化につながる。しかし、その間に水田が位置することで地下水の硝酸は脱窒によって浄化される。食物連鎖が物質を濃縮する過程であるのに対して、物質の分解をつかさどるこのような地形連鎖のもつ特性の評価をさらに進める必要がある。地形連鎖を生きた機能体としてとらえる意識が必要であろう。

3)水の特性とその効用

水を物質の移動媒体や単なる溶媒と見るだけでよいか。どうやらそうではなさそうである。水そのものを土や植物と同じように生き物と見なすのは、きわめて刺激的な考え方である。森や湿原から湧き出る水は、太陽の光が降りそそぐ草原を経て、畑に、水田に流れ出て、河川や海洋に達する。これらの間を行き交う水はそれぞれの特性が異なるであろう。これらの特性には、未知の部分が多く残っているのではないか。

4)音波栽培

音波と養分を葉面に散布する方法を組み合わせた音波栽培(ソニックブルーム)と呼ばれる農法がある。この方法は植物の気孔を開かせるとか、栄養分の吸収を速めるとか、土壌の改良にもつながるという報告もある。いずれにしても、環境には水があり光があるように音もある。環境のなかで、音の研究はまだまだ未知な部分が多く、限りない好奇心を誘う分野でもある。音もまた環境資源の一つであるかもしれない。

5)新規作物の問題点

生産性が高く品質のよい新しいハイブリッド品種が開発されている。しかし、病害虫への耐性や抵抗性をもたない、収量の増加ばかりをねらった品種ばかりが栽培されると、害虫による凶作の危険性が増大する。また、このような新品種にはその特性に応じて化学肥料や農薬を大量に必要とするものも多い。それらのことは、即、環境に多大な影響を及ぼす。この観点からの研究はこれまで見あたらない。さらに、遺伝子組換え作物の栽培面積が増大していく今日、生物多様性に対する組換え作物の影響評価の研究が早急に開始されなければならない。また組換え作物を含めて、新規品種が効果を失ったときの救済策は何か。対策を考えておかなければならない。

6)ミミズと土

近代農業が成立するまでの長い期間、土壌を本当に耕し、肥沃(ひよく)にしてきたのはミミズである。ダーウィンは、「世界の歴史上、下等な組織をもったこれらの生物ほどに重要な役割を果たしてきた動物がほかにいるかどうかは、疑わしいと言えるだろう」と書いている。しかし、ミミズは近代農業が成立するなかでほとんど無視され無惨な虐待を受けてきた。農業環境の研究のなかでこれまでミミズの役割が取り上げられてきた例は少なく、他の土壌生物とともに、有機栽培、減農薬栽培などのもとでの土壌の健全性を示す指標生物としての研究を深めていく必要がある。

7)昆虫と紫外線と匂い

昆虫たちは触角を用いて、ごく微量の化学物質を介して昆虫どうしあるいは植物との交信をしている。昆虫たちはこれによって食べ物や番(つが)う相手をかぎ当てることができる。人間の目に見えない紫外線や、われわれが聞くことのできない超音波などの物理的な手段によって交信するものも多い。昆虫にとっての環境認識は、未知の分野であるとともに神秘的な分野でもある。

8)雑草(ただの草)の本質的意義

農業環境のなかで、雑草研究はもっと重視されるべきではないか。雑草の中には、根を下層土の中にまで深くおろし、普通の栽培作物が吸収できないさまざまな養分を地表にもたらすものがある。また土中の水分を吸い上げ、さらには土壌の硬盤をほぐす。作物と雑草との共存は、土壌の風食や水食を防ぎ、害虫から作物を守ったり、害虫の大発生を抑制する働きもある。さらには、土壌にとってはもっとも過酷な太陽の直射光を遮り、土壌の微生物・小動物相を豊かにしてくれる。雑草こそは、土、水、元素の小さな物質循環の主役であると同時に、微生物や昆虫や鳥など生物多様性の維持者の1つなのである。雑草は、われわれが土壌を正しく扱っているかどうかの証人かもしれないのである。

9)作物から除かれてきた抵抗性遺伝子と病害虫

われわれ人類は、野生植物に改良を加え美味で栄養価が高く、そのうえ栽培しやすい作物を作り上げてきた。しかし、作物が美味で栄養価が高くなった反面、病害虫に冒されやすくなり、十分に育成させるためには多量の化学農薬が必要になってきた。人類は、野生植物を改良していく段階で、病害虫に強い遺伝子を知らずに取り除いてきた可能性がある。野生種から作物に品種改良する途中で、病害虫に強いどのような遺伝子を取り除いたのか、あるいは破壊してしまったのかを追跡する必要がある。このことによって、病害虫に強くて、栄養価の高い、そのうえ環境負荷の少ない作物作りのための情報が得られるかも知れない。

10)電磁波・磁気と植物・土壌

磁石は鉄を吸い寄せ、または他の磁石に力を及ぼす。この磁気力の根源である磁気と植物や土壌の関係は未知である。植物にも土壌にも複雑な形で鉄が存在する。磁気が環境要因として植物や土壌に及ぼす影響の研究もまたきわめて魅力的な世界である。

11)微量元素のバランス

土壌の塩基が均衡を保っていることはもとより、窒素、リンおよびカリウムの三大栄養素のバランスが植物の健全な生育にとって重要なことはいうまでもない。土壌および植物の微量元素間のバランスもまたしかりであろう。人間にとって健全な作物が生育されるためにも、この土壌の微量元素のバランスはきわめて重要であろう。この種の研究の走りはまだない。

12)化学物質の有害性予測

環境ホルモンの問題が大きく取り扱われたのはなぜか。新たな化学物質は、これまでの科学の知識だけでは予想もつかない毒性を持っているかもしれない。最先端技術といわれるナノ(塵)粒子の環境中での動態や環境への影響は、ほとんど調べられていない。ナノ粒子が大量に環境中に放出されると、何が起こるのか。化学物質の構造とこれに働く生物の作用部位との関係を解明し、化学物質の生物に対する影響を予測する技術の開発は、きわめて重要である。これには、リスクの科学を究めながらの研究が不可欠になるであろう。新たな医薬や農薬の開発のための研究にくらべ、これらが生物へ及ぼす影響に関する研究は進んでいるとは言えない。さらに、これらが生き物としての土壌や水に及ぼす影響の研究は、あまりにも遅れている。われわれ人間の食物の大源は、土壌や水や大気である。

13)農業と人間の健康

スコットランドの内科医ロバート・マッカリソンは、正しく栽培された食品を食べていれば、男女を問わず病気知らずで長生きできると主張した。長寿地区として知られるパキスタンのフンザ地域の土壌は、氷河水が運ぶコロイド粒子を絶えず受け続けてきたのである。人間が健康な環境で健康に生きるためには、健全な土壌と健全な作物と健全な水を保全しなければならない。21世紀に早急に必要な科学、それは、農業と人間の健康に関わる生命科学(Agromedical Life Science)ではなかろうか。ここでは、食物や水とアレルギー疾患や欝(うつ)病などの心の病気との関係も究明されなければならないであろう。

14)環境倫理学と農業環境

環境の研究を推進する思考の根底には、環境倫理が必要であろう。すでに書いたが、人が人に倫理観を持つと同じように、人は大地や大気や水や雑草に倫理観を持たなければ、彼らは逆襲するであろう。

おわりに:カエルの悲劇

熱い湯と水を入れた鍋を二つ用意する。熱い湯に一匹のカエルを入れると、その熱さに驚いてカエルは跳び上がり、危機を脱する。しかし、二匹目のカエルを冷たい水の中に入れて、ゆっくりと鍋を過熱する。このカエルは、だんだん熱くなっていく湯からいつ跳び出すか迷いながら、やがて完全に煮つくされて死んでしまう。

迫ってくる危険を知りながら、結局は死んでいくカエルと比較して、われわれは実際に自分たちに迫ってくる危険に適切に対処できるのであろうか。

われわれがそれぞれの原風景として記憶しているかつての環境に比べると、今の環境は大きく変化している。経済的に豊かな生活を追求するあまり、経済では計れない環境そのものの価値が忘れられてはいないだろうか。その間に、太陽の光と大気と水と土はかっての機能を失いつつある。

フロンガスや臭化メチルの放出によるオゾン層破壊で、太陽の光には紫外線が増えている。二酸化炭素やメタンの放出による対流圏の大気の温室効果ガス濃度の増加は、地球を温暖化している。これにともなって、干ばつ、洪水などの異常気象が頻繁に起こっている。食料生産に使用される過剰な窒素や豊かな生活を保証するさまざまな化学物質によって、水と土の質は悪化している。その結果、作物は汚染され人間の健康にまで影響が及んでいる。

太陽の光、大気、土、水を次世代に健全な姿で継承することが重要であるが、社会的にこの認識はきわめて低い。次世代への倫理観念の欠如である。

われわれは無分別な利潤追求と欲望充足のために、徐々に迫ってくる環境資源の破壊の危険に無感覚になってはならない。次世代に環境資源を健全に継承することができなければ、文明の発展や医学の進展が未来の人類のために何の役に立つだろうか。すべての根本に立ち帰って考える必要がある。生態知を探求することなく、紫外線遮断技術や空気清浄機、あるいは、新たな健康食品の開発などの技術知にのみ頼ろうとするならば、われわれの未来は熱くなる湯に運命をゆだねる「カエルの悲劇」と異なるところはないであろう。

 

農林水産技術会議事務局「研究成果」シリーズの紹介(7):92.農用地土壌の特定有害物質による汚染の解析に関する研究

現代文明は、大量の重金属に依存しなければ成立しない。歴史をふりかえってみても、そこには人類の発展と重金属の間にきわめて深いかかわりあいが認められる。銅はすでに紀元6,000年前に、鉛は紀元5,000年前に、亜鉛や水銀は紀元500年前に人々によって使われていた。

重金属による環境へのインパクトが、堆積物、極の氷床のコアや泥炭に含まれる重金属の分析から歴史的に明らかにされつつある。ローマ皇帝の時代には鉛の使用量がきわめて多かったことも確認されている。ローマ帝国の時代、高級な生活をするためには大量の重金属が必要であった。とくに鉛(8〜10万トン/年間)、銅(1万5千トン)、亜鉛(1万トン)、水銀(2トン以上)が多く使われたが、錫なども同様に必要であった。その当時、鉱山の経営は小規模であったが、大量の原鉱を制御せずに開放系で精錬していたので、大気中にかなりの量の微量金属を揮散させていた。

古代の中央ヨーロッパにあった鉱山の多くは、11世紀ごろから再び操業を開始している。精錬と機械装置の影響の範囲が極度に広まったため16世紀の間に、高い煙突をもつ大きな炉が発達した。

産業革命のため、金属の必要性は空前の勢いで高まった。その結果、重金属の絶対量と種類の増加は、必然的に大気への金属の揮散の度合いを指数関数的に増加させた。

わが国でも、鉱工業の発展による鉱山からの重金属の問題が、農業生産の場面に顕在化してきた。イタイイタイ病に代表されるカドミウムなどの重金属による土壌および農作物の汚染問題である。農用地から直接作物に移行するカドミウムなど重金属の汚染問題が、社会的に大きな関心事となっていった。しかし、重金属汚染における土壌−作物間の因果関係あるいは重金属汚染を防止するための技術など未解決な問題が残されていた。そのため、重金属による土壌汚染に関する対策研究が緊急に実施されることになった。

この研究は、カドミウム等特定有害物質の土壌中の挙動、土壌−作物間の因果関係、植物中の挙動の解明、特定有害物質の分析法の確立など、土壌の汚染防止のための技術を確立することを目的とした。現在、CODEXによる国際基準値の見直し作業に伴い、カドミウムの問題と研究の必要性が再び浮上していることは、この「情報:農業と環境」ですでに紹介してきた。

以下に、この研究で得られた成果をごく簡単に紹介する。

1)土壌および作物体の重金属等の分析法の確立

(1) 過塩素酸分解−ADDC−MIBK抽出原子吸光法によるカドミウム、亜鉛、銅、ニッケルの分析法の確立

(2) 同じ前処理でヒ素について比色法と原子吸光法を確立

(3) 塩化アンモニウム処理で、同上の方法で鉛についても分析法を確立

(4) 燃焼前処理−加熱気化法による玄米中の水銀の分析法を確立

(5) 全国の土壌汚染調査に便利な1/10 N HCl抽出法を確立(カドミウム、銅、亜鉛)

(6) 土壌および作物体中のカドミウム、鉛、水銀、銅、亜鉛、ニッケルなどの分析法確立。

2)カドミウム等重金属などの天然賦存量

(1) 水田作土のカドミウム濃度は、0.45ppm前後、畑、茶園、果樹園もこれに近い値であった。

(2) 通常の果樹園土壌では、一般にカドミウム、銅、ヒ素、亜鉛、鉛、ニッケルか表層で高く、ブドウおよびナシ園で銅、リンゴ、カキナシ園でヒ素の高い例があった。

(3) ヒ素と亜鉛は玄武岩、カドミウムと鉛は花崗石、ニッケルと銅とクロムは安山岩由来の土壌で高かった。

(4) 林地土壌は、表層でカドミウムが高く、銅は層位による傾向はなかった。

(5) 玄米のカドミウムは、平均で0.06ppm、麦では平均0.05ppm程度であった。

3)重金属等元素の土壌中の形態と挙動

(1) pH上昇とともにカドミウムと亜鉛の溶出は減少するが、カドミウムの吸着率はpH上昇で高まる。酸化状態ではカドミウムのかなりの部分が交換性陽イオンとして、粘土と腐植に吸着されている。

(2) 酸化還元電位-150mV付近から、硫化物の生成によりカドミウムの溶出率が急激に低下する。

(3) 灌漑(かんがい)水のカドミウムの大部分が、土壌に吸着される。

4)重金属等元素の作物による吸収と障害(省略)

水稲・大麦・トウモロコシ・普通畑作物・野菜・茶・桑の重金属の吸収と障害の発生が調査された。

5)作物の重金属等の吸収と土壌条件 (省略)

6)重金属等による汚染と改良対策 (省略)

7)重金属汚染の実態 (省略)

この成果報告の目次と研究年次、主任研究者、研究場所を以下に示す。

目次

第1章 重金属元素等の分析法

1 過塩素酸分解法による土壌中のCdの定量法

2 同一MIBK抽出液を用いる土壌中のCd、Zn、Cu、Niの定量法

3 土壌中の全Asの比色定量法

4 原子吸光法による土壌中Asの定量法

5 高感度水銀分析計による作物体中総水銀分析法

6 土壌中の鉛の測定法

7 各種浸出液による土壌中の銅、亜鉛測定法の比較

8 塩酸による土壌中ヒ素の抽出特性

9 土壌中の重金属の分析法の検討―直接吸入法―

10 分析法の検討―DDTC―ベンゼン抽出―HCl逆抽出法の検討

11 土壌中の易溶性ヒ素の定量法の検討

12 玄米中のCd濃度の簡易推定法

13 要約

第2章 重金属等の天然賦存量

1 水田土壌中のCd、Asの天然含量

2 水田土壌への過リン酸石灰からのCd富化の有無

3 非農用地土壌中のCd、Asの天然含量

4 慣行栽培下の各種野菜中の重金属元素の天然含量の一例

5 関東東山地域の水田土壌および玄米中の重金属元素の自然含量

6 東北地域の水稲玄米および麦の重金属の自然含量

7 北陸地域の土壌および作物体中の重金属の自然含量

8 中国地域の土壌および玄米、麦子実中のCd、Cu、Znの自然含量

9 土壌および飼料作物中の重金属の自然含量

10 非汚染土壌中における重金属の分布

11 九州地域における穀類中の重金属自然含量

12 果樹園土壌中における重金属元素の分布について

13 果樹園の重金属元素などの分布について

14 野菜の重金属自然含量

15 茶園土壌および茶葉の重金属の自然含量(附)製茶中重金属の熱湯可溶率

16 森林土壌の重金属の自然含量

17 桑園土壌および桑葉中の重金属元素含有量

18 要約

第3章 重金属等の土壌中の形態と行動

1 土壌溶液中のCd、Zn、Mn濃度と土壌Eh、pHの関係

2 全国As汚染土壌中のAsの化合形態と水稲の生育ならびに吸収

3 土壌による重金属の吸着と脱着

4 土壌中における重金属の行動

5 灌がい水に含まれる重金属の水稲による吸収と土壌中での行動

6 pHを異にする醋安(酢酸アンモニウム)による土壌中Cd、Znの溶出

7 モンモリロナイトおよび土壌におけるCd、Zn−Ca交換平衡論

8 土壌の酸化還元電位と重金属の溶出

9 土壌によるCdの吸着

10 水田土壌における重金属収支

11 水田土壌中のCdの溶出と水稲のCd吸収に及ぼすキレート剤、有機物の影響

12 土壌中における重金属の行動

13 土壌中のCdの可動性と改良剤添加の影響

14 要約

第4章 重金属等の作物による吸収と障害

吸収特性

水稲

1 土壌中Seレベルと水稲の生育ならびに吸収

2 土壌中のAsと水稲体中As含量との関係

3 土壌中のCd、Zn、Mnと水稲(小麦)の生育ならびに吸収

4 水稲などによるカドミウム吸収に及ぼす亜鉛の影響

5 土壌処理が玄米中カドミウム濃度に及ぼす影響

6 カドミウム汚染土壌均一栽培試験

7 水稲の重金属吸収の土壌間差異

8 水稲による重金属吸収

9 水稲によるZn、Cd吸収と器官別、葉位別分布(水耕およびポット試験)

10 水稲のCd吸収時期と玄米への移行(水耕およびポット試験)

11 Cd濃度を一定レベルに保った水耕栽培における水稲のCd吸収

12 水稲によるCd吸収機構について

13 水管理と水稲のCd吸収応答

14 土壌溶液濃度とCd吸収―水耕液との対比―

15 水稲およびエンバクのCd吸収に及ぼすZn添加の影響

16 水稲のCd吸収に及ぼす移植前の湛水期間と代かきの影響(ポット試験)

17 りん酸肥料長期無施用区、連用区の土壌中Cd濃度と水稲による吸収

18 水稲によるCdの吸収と移行

19 土壌条件とCdの吸収

20 水稲のCd吸収に及ぼす添加Cdの形態、栽培条件の影響

21 水稲のCd吸収に及ぼすZn共存の影響

22 水稲の重金属吸収に及ぼす諸要因

23 水稲のカドミウム吸収に及ぼす土壌間差異について

24 水管理と水稲のCd吸収

25 Cd塩の形態と水稲のCd吸収

26 生育時期別水管理と水稲のCd吸収

27 水稲のCd吸収に及ぼす重金属共存の影響

28 要約

水稲以外

1 幼植物による水耕液中重金属の吸収とりん酸との関係

2 畑作物による重金属元素、特にCdの吸収

3 畑作物のCd、Zn吸収

4 飼料作物のカドミウム吸収特性

5 そ菜作物間におけるカドミウムの吸収差異について−汚染地区における実態調査−

6 そ菜作物間におけるカドミウムの吸収差異について−各器官別のCd含有濃度と分布割合−

7 そ菜作物間におけるカドミウムの吸収差異について−Cd吸収の時期別変化−

8 そ菜作物間におけるカドミウムの吸収差異について−キュウリ及びナスの溶解度別分画法−

9 そ菜作物間におけるカドミウムの吸収差異について−ナス及びキュウリのCdに対する生育抵抗性−

10 トウモロコシ幼植物の重金属吸収障害および作物体での移行性

11 野菜のCd、Cu、Zn吸収と生育

12 茶樹による重金属の吸収特性と体内分布

13 桑のCd吸収におよぼす土壌の種類と条件

14 食用菌類のカドミウム吸収

15 要約

生育障害

水稲

1 Cd、As、Seの水稲生育障害の症状

2 水稲に対する重金属類の影響

3 ヒ素による生育阻害対策試験

4 ZnおよびCdによる水稲生育障害(水耕およびポット試験)

5 水稲の生育収量に及ぼすCd、As、Cu、Zn添加の影響

水稲以外

1 水耕法による桑のカドミウム吸収と障害性

2 桑に対するカドミウム障害とりん酸、カルシウム施用との関係

3 桑園土壌中重金属(Cd、Zn、Pb、Cu)の濃度および化合形態と桑の生育障害および吸収との関係

4 土壌タイプおよび土壌pHと重金属(Zn、Cu)が桑の生育障害および吸収に及ぼす影響との関係

5 土壌中重金属(Cd、Zn)による桑樹への影響と桑苗の性状との関係

6 飼料中重金属(Cd、Zn、Pb、Cu、As)の蚕におよぼす影響

7 要約

第5章 重金属汚染と改良対策

1 各種資材特に有機質資材によるCdの吸収抑制

2 汚染水田における排土客土効果

3 土壌条件と水稲によるCd吸収(水管理、PH、P施用等の効果)

4 水稲およびエンバクの土壌中Cd吸収に及ぼす客土および耕土、心土入替の影響

5 水稲およびエンバクのCd吸収に及ぼす汚染土壌に対するりん酸塩およびけい酸塩などの資材施用の影響

6 土壌改良資材による重金属の吸収抑制効果

7 水稲に対するCd吸収抑制試験

8 桑に対するカドミウム障害とその改良に関する土耕試験

9 土壌改良資材施用効果の解析に関する研究

10 水稲のカドミウム吸収におよぼす排水ならびに資材の影響

11 水稲のカドミウム吸収抑制に対するけい酸の施用効果試験

12 要約

第6章 重金属汚染の実態

1 高感度水銀分析計による玄米中総水銀の調査分析結果

2 土壌、作物系における重金属元素の挙動(安中、東松山、小山地区現地調査)

3 水田内における汚染質の分布型

4 東北地域の主要鉱山地帯の水田土壌の重金属濃度

5 富山県神通川水系の水質、土壌、玄米野菜調査

6 新潟県宇田沢川、三国川水系の水質、土壌、玄米、野菜調査

7 新潟県加治川水系の水質、土壌、玄米調査

8 新潟県葡萄川水系の水質、土壌、玄米調査

9 ひ素集積地の実態解析

10 汚染現地における水稲の重金属吸収経過の実態

11 汚染現地における裏作麦の重金属含量―特にCdとAsについて―

12 汚染野菜の調査

13 道路近辺の農用地土壌における重金属元素の分布調査

14 雑草による汚染土壌の重金属吸収

15 汚染水田からの転換桑園におけるCdの土壌―桑間の挙動

16 林野におけるカドミウム汚染の実態調査

17 金属精錬工場(安中市、東邦亜鉛)周辺の桑葉中重金属の吸収経路の解析

18 要約

研究年次

昭和46〜48年

主任研究者

主査:農業技術研究所長

馬場  赳(昭和46年4月〜48年3月)

江川 友冶(昭和48年4月〜49年3月)

副主査:農業技術研究所化学部長

石沢 修一(昭和46年4月〜47年3月)

小川 正忠(昭和47年4月〜48年4月)

久保田正光(昭和48年5月〜49年3月)

研究場所

農業技術研究所、農事試験場、園芸試験場、茶業試験場、北海道農業試験場、東北農業試験場、北陸農業試験場、東海近畿農業試験場、中国農業試験場、四国農業試験場、九州農業試験場、蚕糸試験場、林業試験場、群馬県農業試験場(委託研究)

 

論文の紹介:加工トマト栽培に使用された農薬の環境影響評価

Assessing the environmental impacts of pesticides used on processing tomato crops
R. Bues et al.,
Agriculture, Ecosystems and Environment, 102, 155-162 (2004)

農業環境技術研究所は、農業生態系における生物群集の構造と機能を明らかにして生態系機能を十分に発揮させるとともに、侵入・導入生物の生態系への影響を解明することによって、生態系のかく乱防止、生物多様性の保全など生物環境の安全を図っていくことを重要な目的の一つとしている。このため、農業生態系における生物環境の安全に関係する最新の文献情報を収集しているが、今回は、農作業者、消費者、生物相への農薬の影響を評価する手法に関する論文を紹介する。

要約

地中海沿岸の5カ国と仏領レユニオン島の合計10カ所の試験地で加工用トマト栽培に使用された農薬の環境影響を、1997年から1999年までの3年間について、2つの手法を用いて評価した。

EIQ(Environmental Impact Quotient、環境影響指数(注1))を使用して推定した影響指標(EIQ値)は、使用された農薬の有効成分量と高い相関があり、使用回数とも相関があった。レユニオン島(インド洋)では3年間を通じて高く、バダホス(スペイン)では常に低かった。また、パンプローラ(スペイン)とテサロニキ(ギリシャ)では年による違いがとくに大きかった。農薬の種類では、使用回数の多い殺菌剤のEIQ値が、殺虫剤や除草剤より明らかに高かった。殺虫剤の使用回数は除草剤より多かったが、EIQ値にはほとんど差がなかった。さらに、影響要因については、ヒト以外の生物相への影響が、農作業者や消費者への影響より大きかった。

農薬の環境影響指標の一つであるIPEST(注2)を用いて試験地ごとに算出された指標値(IPEST指標)は、農薬の使用回数と高い相関があり、使用された農薬の有効成分量の影響は小さかった。レユニオン島とパルマ(イタリア)では3年とも高い影響が推定され、パンプローラ、テサロニキ、エボラ(ポルトガル)以外のすべての調査でかなりの環境影響が示された。この指標でも、殺菌剤の影響がとくに大きいと推定された。

EIQ値とIPEST指標の間の相関は低かったが、2つの指標を用いて、試験地のデータを使用回数と有効成分量によってグループ分けできた。EIQ値はIPEST指標よりも有効成分量に敏感であり、IPEST指標は農薬の使用回数と高い相関があった。2つの指標を同時に用いることにより、広範囲の農業的、地理的な条件下で、さまざまな農薬の環境影響を比較できる。

作物保護のための農薬散布を行うときには、防除効果だけでなく、使用する農薬の環境影響も考慮しなくてはならない。加工用トマトの栽培では、とくに銅剤と硫黄剤の使用回数と使用量とを減らす努力が必要である。

注1) 環境影響指数(EIQ)法: 圃場で使用された有効成分量(kg/ha)と農薬ごとの影響係数から各農薬のEIQ値を算出し、すべての農薬のEIQ値を合計して全EIQ値とする。この方法では、(1)作業者、(2)消費者と地下水、(3)人間以外の生物相(魚、鳥、有用節足動物)への影響を考慮している。

注2) 農薬影響指標(IPEST)法: ファジー論理を用いたエキスパートシステムを使用する。野菜向けに調整されたソフトウェアによって、(1)深土層を通過する水への影響、(2)地表水への影響、(3)大気汚染への影響、(4)使用された農薬の有効成分量、(5)以上から計算される全体的影響のそれぞれについて、対応する5つの指標を出力する。指標の範囲は、0(影響最大)から10(影響なし)までで、指標が7より低いと農薬の影響は大きいと推定する。

 

本の紹介 156: 環境リスク学−不安の海の羅針盤−、中西準子著、日本評論社(2004)

フレーム光度型検出器(FPD)付きガスクロマトグラフで、タバコの煙を分析したことのある人なら、煙の中に様々な有害な含硫ガスが含まれていることはご存じだろう。筆者は若かりしころ、実験の合間にこのことをやった経験がある。COSやCSを始めとして様々なピークがガスクロマトグラフに現れてくる。何のことはない。これらのガスが脳を痺(しび)れさせてくれるのであろう。これは、タバコの煙の話。

次は、ダイオキシンの話。埼玉県の所沢市でダイオキシンの汚染問題が発生したのは、1999年2月のことである。農業環境技術研究所の当時の農薬動態科長が現場に出かけ、問題とされた作物を採取してきて分析し、この問題の解決に大いに貢献した。そしてその問題も長い年月をかけ、昨年の末に解決された。

さて、すばらしい四季が満喫でき、きれいな空気を吸い普通の水を飲んでいるわが日本に住む平均的な人の場合、タバコの煙とダイオキシンの害とではどちらのリスクが高いのだろうか。多くの人が、あまりに加熱した報道をまだ覚えていて、ダイオキシンと答えるだろう。だが正しい答は、タバコの煙である。ダイオキシンによる人間へのリスクは、タバコのおよそ300分の1にすぎない。

では、リスクとは何か。リスクの考え方、リスクの定義や計算、リスクの読み方などが著者の科学者としての経験と共に分かりやすく書かれているのがこの本である。リスクについての著者の主張は、実に単純明解である。環境問題においてもコストやリスクをきちんと考え整理しよう。あらゆる危険や害をゼロにするのは不可能で無理なことだから、処理にかかるお金と発生するリスクとを比べて妥協点を考えよう。リスクとコストや便益とのバランスを重視しよう。それだけである。なんだか明解な人生論のような気もする。環境の研究や学問があまりにも小さな穴の中に入り込んだような気もする。

環境問題では、いずれも微小なリスクが大仰に取り上げられる。マスコミが不安を煽(あお)り、それが政治的に利用される。一方では、大量の予算を無駄使いするはめになる。きちんとしたデータと冷静な分析に基づく批判こそが重要なのである。このとき、コミュニケーションの道具としてのリスク論が有効性を帯びる。

2002年に開催された第1回農業環境技術研究所研究成果発表会には、著者に特別講演を依頼した。快く引き受けていただいた講演の内容も、最近になってようやく世間に浸透しはじめてきた。喜ばしい限りである。

これは、「情報:農業と環境 No.22」の「本の紹介 68」でとりあげた「水俣病の科学」と同じように、現場で環境問題を考え、この研究でだれが幸せになるかを追求した立派な研究者のエキスが濃縮された本である。環境問題に関わる数多くのひとびとに読んでもらいたい本である。不毛な極論や、煽りに踊らされないためにも。

研究者に必要なことは、バランスのとれた常識をもつことと、専門に侵されない総合人としての脳を鍛えることであるのかも知れない。目次は以下の通りである。

1部 環境リスク学の航跡

1章 最終講義「ファクトにこだわり続けた輩がたどり着いたリスク論」

2章 リスク評価を考える−Q&Aをとおして

2部 多様な環境リスク

3章 環境ホルモン問題を斬る

4章 BSE(狂牛病)と全頭検査

5章 意外な環境リスク

あとがき/索引

 

本の紹介 157: 世界食料農業白書2003−2004、FAO編、国際食糧農業協会訳農山漁村文化協会(2004)

この白書は、FAOが毎年公表する世界の食料農業に関する報告書「The State of Food and Agriculture 2003-2004 (最新のURLに修正しました。2010年12月) 」を翻訳したものである。

今回の白書は、遺伝子組換え作物を中心とする農業バイオテクノロジーが主たるテーマである。遺伝子組換え作物が一般に栽培され始めたのは、1996年ごろである。現在、主に6か国(アルゼンチン、ブラジル、カナダ、中国、南アフリカ、米国)で、4つの作物(トウモロコシ、ダイズ、カノーラ、綿花)と2つの形質(害虫抵抗性と除草剤耐性)が使われている。将来は、干ばつや塩害などのストレスに強い作物の開発が期待されている。

この白書には、組換え作物の栽培が始まる前からの農業バイオテクノロジーの歴史的背景、組換え作物に対する世界的世論調査と表示の問題など、組換え作物に関連する新しい動向などが幅広く盛り込まれている。

2003年版の白書が刊行されなかったので、今回の白書には2年分の内容が含まれている。白書は、第1部で、農業バイオテクノロジーを、第2部で世界・地域別食糧農業を、第3部で世界の食糧安全保障、栄養、農業生産、人口、土地、貿易等の基本統計を収録している。

このほか、FAOの食糧農業などに関する世界の貴重な統計資料が収録されたFAOSTAT CD-ROMが添付されている。今回のCD−ROMは、これまでのものに比べ格段に使いやすい。

目次

序文/諸言/謝辞/外国語略称一覧表/説明注記

第1部 農業バイオテクノロジー:貧困者の必要を満たすことができるか?

A: 議論の枠組み

1. バイオテクノロジーは貧困者の必要を満たすことができるか?

前置きと概観/この白書から学ぶ重要な教訓/この白書の要旨

2. 農業バイオテクノロジーとは何か?

遺伝資源の理解、特性研究および管理/作物と樹木の育種と増殖/家畜と魚類の育種と繁殖/その他のバイオテクノロジー/結論

3. 緑の革命から遺伝子革命へ

緑の革命:研究、開発、利用及び影響/遺伝子革命:農業研究開発の状況変化/結論

B: これまでの証拠

4. 遺伝子組換え作物の経済効果

経済的影響の源泉/害虫抵抗性綿花の世界的採用状況/遺伝子組換え綿花の経済効果/結論

5. 遺伝子組換え作物の健康と環境への影響

食品安全性の意味合い/食品安全性分析のための国際基準/環境上の意味合い/環境影響評価/国際環境協定と制度/結論

6. 農業バイオテクノロジーへの公衆の意識

バイオテクノロジーの利益とリスク/バイオテクノロジーの様々な利用に対する指示/バイオテクノロジーへの個人的期待/道義上、倫理上の懸念/消費者向けの利用/食品のラベリングとバイオテクノロジー/結論

C: 貧困者のためのバイオテクノロジー利用

7. 貧困者のための研究と研究政策

バイオテクノロジー利用の促進/貧困者のための公的及び民間部門による研究の推進/結論

8. 食糧と農業におけるバイオテクノロジーのための能力開発

農業バイオテクノロジーの国の能力/農業バイオテクノロジー能力開発のための国際的な活動/加盟国に対するFAOの役割と支援/農業バイオテクノロジーのための能力開発の挑戦/次のステップ

9. 結論:貧困者の必要に応える

第2部 世界・地域別概観:事実と図示

1. 栄養不足の動向 2. 食料緊急事態と食糧援助 3. 作物と家畜生産 4. 世界の穀物供給の状況 5. 商品の国際価格の動向 6. 農産物貿易 7. 農業への対外援助 8. 農業資本ストック 9. 漁業:生産、利用、貿易 10. 林業

第3部 付属統計

付属表注記

表A1 本白書において統計目的に用いられている国及び領土 

表A2 食料安全保障と栄養 表A3 農業生産と生産性 表A4 人口と労働力指標 

表A5 土地利用 表A6 貿易指標 表A7 経済指標 表A8 全生産要素生産性

参考文献/世界食料農業白書の特集記事/SOFA-DB(データベース)CD-ROM/インストール・スタートアップガイド/日本語版後記

 

本の紹介 158: 世界分類学イニシアティブの手引き志村純子・松浦啓一編著、東海大学出版会(2004)

農業環境技術研究所の農業環境インベントリーセンターは、土壌、昆虫、微生物の「分類」の研究室と、インターネットを利用したインベントリー情報公開システムの構築を進める「情報」専門の研究官から構成されている。関連のある内外の研究者などに講師を依頼して公開セミナーを開催しているが、表題の本は、講師をお願いした編者から昨年9月に譲り受けたものである。鮮やかな朱色の熱帯植物(ヘリコニアの仲間)の写真を表紙にしており、編者の思い入れと美的センスが感じられる。

この本では、生物多様性条約の188の締約国が実施しなければならない生物資源保全のための横断的プログラム、すなわち、「分類学」と「情報学」のプロジェクト「世界分類学イニシアティブ」が紹介されている。編者の志村純子氏は国立環境研究所に在籍し、世界分類学イニシアティブにおけるわが国のナショナルフォーカルポイント(プロジェクト推進リーダー)である。もう一人の編者である松浦啓一氏は国立科学博物館に在籍し、日本分類学会連合の会長である。

長い歴史を有する「分類学」と最新の「情報学」とが、どのように連携しているか、また、すべきか、この連携が「生物多様性」研究にどのように寄与するのか、今後の課題はなにかが、美しい写真とともに紹介されている。以下に、緒言などからの抜粋を含めて、目次を紹介する。なお、本書の全文は、世界分類学イニシアティブ日本 (GTI JAPAN)のホームページ(http://www.gti.nies.go.jp/japanese/ (該当するURLが見つかりません。2014年10月))から入手できる。

目次

世界分類学イニシアティブ作業計画日本語版への緒言

「・・・世界分類学イニシアティブの目標は、生物多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用、および遺伝資源の利用から派生する利益の公平な配分のために、適切な分類学的情報を提供すること、そして、政策決定を適切に行えるように支援することである。・・・」(抜粋)

まえがき

「・・・本書はアジア地域における世界分類学イニシアティブが直面する課題や生物多様性保全の活動が直面する課題を明らかにし、今後の方向性を検討するために編集された。・・・」(抜粋)

1 生物多様性条約と世界分類学イニシアティブ

生物多様性条約とは何か

世界分類学イニシアティブとは何か

2 生物多様性情報と分類学

地球規模生物多様性情報ファシリティ(GBIF)

アジアにおける分類学

3 締約国会議と世界分類学イニシアティブ

第6回生物多様性条約締約国会議決議(和訳)

第7回生物多様性条約締約国会議決議(和訳)

世界分類学イニシアティブのための作業計画(和訳)

あとがき

 

本の紹介 159: 農業本論、新渡戸稲造著、東京裳華房発行、明治31年(1898)

現代の日本人が百年前の明治人に学ぶことは多いが、あまりにも名高い新渡戸稲造の「武士道」ものその一つであろう。日本に学び、日本文化にきわめて造詣(ぞうけい)の深い台湾の李登輝前総裁は、「武士道解題」を書き武士道をもって戦前の日本を語っている。

この書は、「武道」のみではなく「奉公」すなわち、「日々の勤め」も書かれたものである。また、「心の持ちよう」が書かれている。「武士道とは死ぬこととみつけたり」などという文章があるために、変に誤解してきわめて保守系の強い本だと思っている人が多い。

もう一つ重要なことは、農学にかかわる見識である。さて、新渡戸稲造は「武士道」を世に出した一年前に、「農業本論」を書いている。「武士道」があまりにも有名になり、「農業本論」は世間に忘れられた感が強いが、この本はいつの世にも読まれるべき農学の古典といっても言い過ぎではない。

当所には、森要太郎著の新撰日本農業書をはじめ明治25年ころからの古書が数多く収蔵されている。そこで、それらの中から古典の「農業本論」を紹介する。この本は10章からなる。現代に通用することがらや、古典から学べるところがいくらもある。すでに、農業の多面的機能や環境倫理の萌芽がこの本の内容に認められる。まさに、温故知新である。以下の目次を見るだけでも斬新な本であることがわかる。

目次

第壹章 農の定義

○農の定義を定むるの必要

◎第一項 農なる文字の解釋

○日本語  ○支那語  ○希臘語  ○羅甸語  ○獨逸語  ○英語  ○歐州南方諸國の通語  ○第一項結論

◎第二項 農業の定義

○食料供給を以て農の主眼とする學説  ○生産作用を農と同視する説  ○農を營利的職業とする説  ○第二項結論

第貳章 農學の範圍 附諸國農學校教育課目

○農學の位置  ○農學の主眼  ○農と醫の比較  ○農學の定義の博約  ○農學の本領  ○農學の範圍愈大ならんとす  ○結論

◎附録 諸國農學校ヘ育課目

第参章 農事に於ける學理の應用

◎第一項 實業と學問

○學問の要は概括にある事  ○學問は本を重んずる事  ○學問は先見力を有する事  ○學問の結果は遅延なる事  ○學問は進歩的なる事  ○學問は可能性を示す事  ○學問は原則の應用を問はざる事

◎第二項 農學の實地應用如何

○農民は因循なる故に新法を施さず  ○農家貧なる爲め學理を應用する能はず  ○農業の組織は容易に改革を許さず  ○農業に分業なき爲め學理を應用し難し  ○農民の腦髓に餘裕なき事  ○農業に秘密なき事  ○農業は自然の作用多き故、人工的改良を施し難し  ○農學の範圍廣き事  ○農學の專攻尚ほ進まざる事  ○農業は粗笨なる故、鉛の學理を應用し難き事  ○學理應用の實u耕作者に及ばざる事  ○未熟の學理は實地應用を誤る事  ○學者と實業者とに懸隔ある事  ○結論

第四章 農業の分類

○農業の分類法  ○生産物に由る類別法  ○資本勞働投入に由る類別法  ○耕地の土性或は地形の性質に由る類別  ○農業規摸の大中小に由る區別  ○耕作者の土地に對する所有權に由る類別法  ○地方搆クに由る類別法  ○農業の沿革によりて類別する法  ○農業は美術なりや  ○結論

第五章 農業と國民の衞生

○農業は健康を養ふ説  ○農民は長命なる事  ○醫術は成功田舎に著しき事  ○都鄙に於ける死亡の割合  ○都鄙に於ける嬰児の夭死  ○都鄙に於ける男女の健康  ○田舎生活は女子に適せざる理由  ○都鄙に於ける女子の生殖力  ○田舎は強兵供給の源泉なる事  ○過度の勞働は農民を隕ふ事  ○結論

第六章 農業と人口

○民勢學的觀察  ○食料の供給と人口の揄チ  ○村落の沿革  ○疎居的村落と密居的村落  ○疎居の不利なる事  ○都會の起源  ○都會攝iの趣勢  ○都會攝iの理由  ○本邦人口の集落  ○田舎の衰頽  ○人口揄チと家畜の漸減  ○結論

第七章 農業と風俗人情

○分業の性情に及ぼす影響  ○宗教は農を重んず  ○古賢農を讃するの辭  ○歐米の學者農のコを頌す  ○農の唱讃其度を失するの虞あり  ○耕作物の人氣に及ぼす影響  ○田舎に姦淫夥き事  ○田舎間の奢侈  ○家族の情誼  ○自殺は田舎に少なき事  ○野暴らしの悪習  ○大小農の道コ影響  ○田舎の犯罪は粗醜なる事  ○結論

第八章 農民と政治思想

○從屬の念  ○自由思想  ○政治思想は田舎に伸暢せざる事  ○細民と農業の関係  ○固守の性質  ○農業の愛國心  ○地力自治制  ○耕作物の政治思想に及ぼす影響  ○結論  ◎附録 華族の長壽策

第九章 農業と地文

○本章解題  ○農業の地文に及ぼす影響  ○伐木の地文に及ぼす影響  ○排水と地文  ○灌漑と地文  ○植物の傳播  ○植物の變性  ○農業と動物  ○動物の變性  ○農業と土性  ○結論

第十章 農の貴重なる所以

○農業を貴重する理由  ○人種に隨て農に輕重を措く  ○農事を貴重するは習慣より來ると多し  ○農事を貴重するは時勢の反動として起る事あり  ○穀物の貴き論  ○農業には自然の作用多き事  ○土地報酬遞減法  ○農産の物價を説て農の貴重なる所以に及ぶ  ○農は廢物を利用する事  ○農は商工業の基  ○農は國富の基  ○農は諸職業中、最大多數の人を要す  ○結論

 

資料の紹介:「必然としての生物多様性−その保全と持続可能な利用−」総合科学技術会議、環境研究開発推進プロジェクトチーム生物・生態系研究開発調査検討ワーキンググループ

この資料は、総合科学技術会議の環境研究開発推進プロジェクトチームの下に設置された「生物・生態系研究開発調査検討ワーキンググループ」が、わが国の環境分野における生物・生態系に関連する研究開発のあり方を、生物多様性の保全と生物資源の持続可能な利用という観点からまとめたものである。ワーキンググループの代表である日高敏隆氏は、大学共同利用機関法人人間文化研究機構の総合地球環境学研究所の所長である。

この資料では、人類にとって究極の目標である「人類生存のための生物多様性の保全と生物資源の持続可能な利用」を実現するために、「基礎研究」や「知的基盤の整備」、「戦略的な開発研究」をどのように進めるべきかが、多くの図表を駆使して階層的な問いに答える形でまとめられている。たとえば、「知的基盤の整備」の研究領域での問いは、「知的基盤の品質の保証や体系的な整備のためにどのような基礎的な研究や技術開発が必要とされるか」、「生物多様性に係わる情報の整備と提供をいかにすすめるか」などである。環境分野における生物・生態系の研究にかかわっている方に、一読をおすすめする。

なお、このワーキンググループには、当研究所の生物環境安全部長が構成員として参加した。以下に、「序にかえて」の抜粋を含め、目次を紹介する。全文は、以下のURLに置かれている。

http://www8.cao.go.jp/cstp/project/envpt/report/bioeco-j.pdf

目次

序にかえて

「・・・生物というのは、本質的に多様になるものである。つまり、生物には遺伝子があり、それを介して子孫を残す。そのとき、同じ遺伝子集団がそのまま増えていくのではなく、ある程度の確率でちょっとした違いが生じる。その結果、生物は代を重ねるごとに、必ず多様になっていく。・・・人類もそうした生物多様性の中から出現したのである。・・・生物のあるものは純粋の肉食動物になり、あるものは純粋の草食動物となった。・・・人間はどうやらそのどちらでもなく、専門化した雑食動物としてできあがったらしい。だから食物とする生物の多様性が減少すれば、人類が健康に生きていくのに必要な食物が得られなくなる。つまり、生物多様性の減少は、・・・人類生存の危機につながることになる。」(抜粋)

1 はじめに

2 調査・検討に至る経緯

3 生物多様性の保全と生物資源の持続可能な利用

3.1 研究目的

3.2 研究開発の階層構造

3.2.1 基礎研究

3.2.2 知的基盤の整備

3.2.3 生物多様性変化の予測

3.2.4 生物多様性変化の影響評価

3.2.5 生物多様性の保全・再生の技術・手法

3.2.6 国土と自然資源の持続可能な利用と管理

3.2.7 生物資源の持続可能な利用とそのための政策

4 生物・生態系研究開発の現状

4.1 我が国における研究開発の現状

4.1.1 各省における取り組みの現状とニーズ

4.1.2 イニシアティブ研究における生物・生態系研究開発

4.2 国際的な研究開発の動向

4.2.1 国際的枠組み

4.2.2 外国における研究開発の状況

5 我が国が今後取り組むべき研究開発課題

6 関連する重要事項

6.1 推進体制

6.2 法的・制度的問題と生物・生態系研究の推進

6.3 国際協力

6.4 産学官の連携、役割分担

6.5 地域的取り組みとの連携および学際的研究交流の場の形成

6.6 人材育成と研究資源の配分

図表

表1 戦略的研究開発の階層構造的「問い」群

表2 各省における研究開発課題の現状(平成15年度)

表3 各省における研究開発ニーズ(将来課題)

表4 生物・生態系に関連するイニシャティブ登録課題(各省:平成15年度)

表5 ワーキンググループで議論された今後取り組むべき研究課題例

表6 生物・生態系研究開発調査検討ワーキンググループ審議状況

表7 生物・生態系研究開発調査検討ワーキンググループ構成員

図1 生物多様性の保全と生物資源の持続可能な利用のための研究開発に関わる研究領域

図2 生物多様性の保全と生物資源の持続可能な利用のための戦略的研究開発の階層構造

図3 環境分野における生物・生態系研究開発課題の現状とニーズ(各省)

図4 我が国の環境分野における生物・生態系研究開発費(平成15年度)

 

欧州環境庁と国連環境計画欧州地域事務所の共同報告書「自然的価値の高い農地−その特徴、動向および政策課題−」

EUは共通農業政策(CAP)の2003年改革に基づいて、農村地域の環境保全をさらに強化することになったが、その中で、達成が危ぶまれているのが、生物多様性保全に関する事業である。とくにEUの全陸地面積の約50%が農地であることから、農地における生物多様性保全の重要性は、欧州委員会の関係機関ばかりでなく、非営利組織等においても広く認識されている。

2004年5月にアイルランドで開催されたEU理事会の関係者会議において「生物多様性の減少を阻止する; 2010年に向けた優先すべき目的と目標」に関する声明が発表され、農業部門では生物多様性問題をCAPに組み入れ、2007〜2012年の財政的見通しをつけて農村開発規則を強化することになった。そのなかでも、生物多様性が失われる危機性が高い自然的価値の高い農地の保全に重点が置かれている。この自然的価値の高い農地は条件不利地域に多いが、わが国と同様にEUにおいてもこれらの地域は、利用放棄もしくは集約化され、自然価値の高い農地の維持が危ぶまれている。したがって、EUにおけるこの取り組みは、わが国の条件不利地域の農業システムを保全する上で、参考になると思われる。

そこで、これに関連する主要な資料である欧州環境庁(EEA)と国連環境計画(UNEP)欧州地域事務所による共同報告書「自然的価値の高い農地 −その特徴、動向、政策課題−」
http://www.eea.europa.eu/publications/report_2004_1 (最新のURLに修正しました。2010年6月)
の内容を中心に紹介する。本報告書の内容は、これまでのEUの取組みの内容を知らなければ、十分な理解が得られないので、補足説明をボックスとして、本文中に適宜、挿入した。さらに報告書に記述されている条約、法規および専門用語について、参考になると思われるインターネット上の資料を番号(*1*2、・・・)を付けて章末に掲載したので、参照していただきたい。

本報告書の冒頭で、欧州環境庁長官 Jacqueline McGlade および国連環境計画欧州地域事務所所長 Frits Schlingemann は、次のように述べている。

「欧州の文化遺産および自然遺産[ボックス1]の豊かさは伝統的農業景観に現れています。EUのさまざまな自然条件や伝統的農業の営みは特有の景観を生みだし、単に視覚的な心地良さだけでなく、多くの動植物が生存するためのさまざまな環境をもたらしています。自然的価値[ボックス2]の高い農地[ボックス3]は、農村地域における生物多様性のホットスポット*1,*2であります。また自然的価値の高い農地は粗放的農業活動を行なっている農地に多いのが特徴です。

ボックス 1 自然遺産(natural heritage)

1972 年のユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)とともに、文化遺産及び自然遺産の国内的保護に関する勧告が採択された(1),(2),(3),(4)。この勧告は自国の法令に従い、各国が文化遺産および自然遺産の効果的な保護、保存および整備活用を確保することを目的としたものである。

この勧告の中で、文化および自然の遺産は、一つの富であり、その富を有する国は、その富を保護、保存および整備活用について責任を負い、それらの責任を遂行するために必要な措置をとる、また文化および自然の遺産は本質的に重要な価値を有する作品だけでなく、時の経過とともに文化的価値または自然的価値を生じた作品は、それほど重要でない要素であっても文化または自然の遺産に含まれるという一般原則が定められている。このように一般原則では世界遺産に指定された遺産以外についても、保護、保存および整備活用することを求めており、本報告書においても、この一般原則に基づいて記述されていると考えられる。

参考資料

(1) http://whc.unesco.org/en/about/ (最新のURLに修正しました。2010年6月)

(2) http://www.biodic.go.jp/biolaw/sekai.html

(3) http://www.icomos.org/unesco/national72.html (対応するページが見つかりません。2012年8月)

(4) http://www.mext.go.jp/unesco/009/004/012.pdf (最新のURLに修正しました。2010年6月)

ボックス 2 自然的価値(nature value)

わが国でも自然的価値という言葉が環境経済学分野で使用されるようになった。これは工業生産では環境破壊や汚染修復の費用が含まれていないのに対して、自然的価値の高い農地では生物多様性保全など、国土保全機能を有しているにもかかわらず、その価値(公益的価値)が経済的にあまり評価されていなかった。しかし、このような自然的価値を経済価値に換算して、評価するようになってきた(1)、(2)、(3)

米山は環境倫理哲学的立場から、自然的価値を利用的価値、内在的価値、本質的価値に分けて解析している。その中で生物多様性は本質的価値であり、重要であるが、単に保護(隔離)するだけでなく、自然を利用しながら守ることの重要性を主張しており、この資料は自然的価値の保全のあり方を検討する上で参考になる(4)

参考資料

(1) http://www.doshisha.ac.jp/syougai/info/sanwa/95/l02/02t05.html (対応するページが見つかりません。2010年6月)

(2) http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2004_17948/slides/13/18.html

(3) http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/kankyoukeizaiheikouwo.htm

(4) http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/socio/lab/sotsuron/97/yoneyama/index.html (対応するページが見つかりません。2012年8月)

ボックス 3 農地(farmland)

ここで使用されている農地(farmland)は、わが国の農地法(1)、土地改良法(2)で定義されている農地または農用地よりも広義の意味で使用されており(3)、(4)、農業活動に関わる施設も含めた景観学的な土地分類であり、農振法第3条の「農用地等」(5)に近い内容である。

Agricultural land は、farmland の同義語として使用される場合もあるが、散在する建築物の敷地も含む、農業活動に係わるすべての土地をさしているので(6)、農地(farmland)よりもさらに広義の意味で使用されていると解釈して、「農業用地」という言葉をあてた。

以上の自然遺産、自然的価値および農地の用語に関する資料、さらに本報告書について紹介している邦文資料(7)、(8)を参考に、high nature value farmlandを「自然的価値の高い農地」と訳した。

参考資料

(1) http://nougyou.hourei.info/nougyou214-1.html (総則第2条)

(2) http://nonki.cside5.com/isahaya/hourei/kairyoH.html (対応するページが見つかりません。2010年6月) (総則第2条)

(3) http://www.webster-dictionary.org/definition/farmland farmlandの定義)

(4) http://www.aftresearch.org/researchresource/foe2/report/foeglos.html (対応するページが見つかりません。2010年6月) (farmlandの項を参照)

(5) http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/06119690701058.htm (対応するページが見つかりません。2014年10月)(総則第3条)

(6) http://forum.europa.eu.int/irc/dsis/coded/info/data/coded/en/gl011168.htm (対応するページが見つかりません。2011年1月)

(7) http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=7577

(8) http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/agrifood/agrienvi/04043002.htm

ところが、農地におけるこの数10年間の生物多様性の減少は深刻です。農業の大規模な合理化と集約化が生物多様性の減少の原因となっています。限界的な粗放的農業地域は、改良もしくは利用放棄されることが多く、結果的に生息地と種の多様性が著しく減少しています。半自然植生(semi-natural vegetation)[ボックス4]が急速に減少しており、絶滅が危惧(きぐ)されている野鳥の3分の2は、農業活動を行っている半自然植生に生息しています。このような農地の減少を見過ごすわけにはいきません。そのため、農業用地(agricultural land)[ボックス3]の生物多様性を保全することは、今日、政治的に重要な課題であります[ボックス5]

ボックス4 半自然植生(semi-natural vegetation)

semi-natural vegetation は植生遷移学的には二次植生と訳されることが多いが、本報告書では、景観学的な植物群集の分類単位としてsemi-natural vegetation(1),(2)あるいはnatural/semi-natural(自然/半自然)(3)、(4)という意味で使用されているので、半自然植生という用語を充当した。

参考資料

(1) http://www.science.ulst.ac.uk/nics/ のPRIMARY HABITATSの項を参照

(2) http://www.countryside.gov.uk/access/mapping/faq/secns/secn1.htm (対応するページが見つかりません。2010年6月) の moor の項を参照

(3)http://www.hart.gov.uk/planning/policy/adoptedlp/text/aa_gloss.htm (対応するページが見つかりません。2010年6月) の Semi-Natural Vegetation の項を参照

(4) http://biology.usgs.gov/fgdc.veg/standards/appendix3.htm (対応するページが見つかりません。2010年6月) の Natural/Semi-natural の項を参照

ボックス5 生物多様性保全政策に関する資料

2004年5月にアイルランドのマラハイドでEU理事会環境閣僚会議が開催され、農業分野では、CAP 政策に生物多様性事項を統合・強化して、2010年の生物多様性の目標達成に貢献することが表明された(1)、(2)、(3)

EEAはこの声明に関連する資料を発行している。この資料には、EUにおける生物多様性の状況、農林水産業における持続可能な利用方策、および生物多様性を脅かす農地の窒素過剰や気候変動の影響などが記述されている(4)。また、この資料には本会議で発表された生物多様性指標の検討案も掲載されている。

参考資料

(1) http://www.nbu.ac.uk/biota/messagefrom%20malahide.pdf (対応するページが見つかりません。2012年8月)

(2) http://www.eu2004.ie/templates/document_file.asp?id=17054 (対応するページが見つかりません。2010年6月)

(3) http://www.ceeweb.org/w1agribi/docs/bap_furtherintegrat_cap_16-12-03.pdf (対応するページが見つかりません。2010年6月)

(4) http://org.eea.eu.int/documents/speeches/25-05-2004 (対応するページが見つかりません。2010年12月)

これに関連する欧州レベルの重要な取組みは数多くありますが、その中でも、汎ヨーロッパ生物・景観多様性戦略(PEBDLS)*3、ベルン条約*4、欧州景観条約*5,*6、欧州連合の生息地指令*7,*8、鳥類指令*9、および農業生物多様性行動計画[ボックス6]に言及する必要があります。

ボックス6 農業の生物多様性保全に関する行動計画の推進状況

1)EUは「EU理事会および欧州議会への欧州委員会報告;天然資源の保全、農業、漁業および開発と経済協力分野における生物多様性行動計画」を2001年に発表した(1)、(2)。この行動計画に基づいて、それぞれの国の生物多様性行動計画を作成したが、行動計画の推進にあたっては、中央行政機関ばかりでなく、地方の行政機関や民間団体と緊密に連携して、農地の生物多様性の保全活動が実施されている。英国の場合の取り組みについて、次に紹介する。

2)英国の政策決定は、政策原案を国民に聞く諮問文書を担当行政部局が発行し、得られた国民の意見を検討した後、修正案(white paper)を国会に提出するという手続きを取る。環境・食料・農村地域省は1998年に諮問文書「持続可能な開発;生物多様性を振興する改革の好機」を発行した。この文書には生物多様性保全行動計画を中央と地方の行政機関が連携して推進する組織体制が提案されており、英国の生物多様性保全政策は国全体で推進されていることがわかる(3)

3)イーストダンバートンシャイア市、アンガス州、ノースデボン州などの地方自治体も、それぞれの地域に適した地域生物多様性行動計画を作成している(4)、(5)、(6)。このほか、地方の民間環境保護団体が農地における生物多様性の保全活動にかかわっており(7)、なかでも、欧州最大の環境NGO連盟である欧州環境事務局(EEB)は、Natura 2000の指定地区外の農村地域における自然保護−農業の役割を発表し、自然的価値の高い農地の保全の重要性と保護に向けた方策を提案している(8)

参考資料

(1) http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/mgzn018.html#01807

(2) http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/mgzn021.html#02107

(3) http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/mgzn023.html#02307 の英国生物多様性推進委員会の事業の項を参照

(4) http://www.eastdunbarton.gov.uk/Web+Site/Live/EDWebLive.nsf/LU-AllContent/PBAR-65KD94?OpenDocument (対応するページが見つかりません。2010年6月)

(5) http://www.angus.gov.uk/biodiversity/pdf/Section%202/Farmland/F.pdf (対応するページが見つかりません。2014年10月)

(6) http://www.northdevon.gov.uk/environment/thrive/farmland.pdf (対応するページが見つかりません。2010年6月)

(7) http://www.wildlifetrust.org.uk/montgomeryshire/farmland_e.html (対応するページが見つかりません。2010年6月)

(8) http://www.eeb.org/index.cfm/activities/biodiversity-nature/agriculture/ (最新のURLに修正しました。2010年6月)

第6次環境行動計画*10、*11では、EUが2010年までに生物多様性の減少を停止させることを約束しています。この目標を達成するためには、自然的価値の高い農地を保全することが重要であります。しかし、現在のところ、欧州全体の自然的価値の高い農地の分布および保全状態に関するデータが揃っていません。そのため、生物多様性に関するキエフ決議*12、*13において、欧州環境閣僚会議は自然的価値の高い農地を特定し、適切な保全措置をとることに合意しました。

この決議に基づく取り組みに貢献するため、欧州環境庁と国連環境計画は、農業と生物多様性に関する調査ならびに自然的価値の高い農地区域の特定と定量についての調査を開始しました。その成果がこの共同報告書であり、自然的価値の高い農地の分布や保全状態についての予備的データおよび政策手段の現在の目標が示されています。

今回のCAP改革では、非貿易問題をさらに重点的に取り扱うと同時に、持続可能性がキーワードになっていますので、欧州の自然的価値の非常に高い農村地域に注意を喚起していただきたい。この共同報告書が政策論議に弾みをつけ、国や関係機関が自然的価値の高い農地の概念を推敲し、練り上げることを促し、これらの保全の取り組みをさらに重点化することを心から希望します。」

以下に、本報告書のおもな内容を紹介する。

概要

伝統的農業は欧州の景観を形成し、さまざまな生物の生息地を作りだしてきたが、とくに、それを保全するには数多くの問題がある。自然的価値の高い農地は、農村地域の生物多様性のホットスポットであり、通常、粗放的な農業を行っているのが特徴である。この農地を保全する価値は、農村開発に関するEU規則(EC 1257/1999)*14など、いくつかのEU政策文書で承認されている。しかし自然的価値の高い農地の分布と保全状態の全欧州規模の評価はまだ実施されていない。

生物多様性に関するキエフ決議において、欧州環境閣僚会議はすべての自然的価値の高い農地区域を特定する作業を2006年までに完了し、経済的、生態的に成り立つ支援をすることを約束した。この決議における目標は、このような区域の『かなりの部分』を2008年までに農村開発措置および農業環境措置の対象にすることである。自然的価値の高い農地の指標はIRENA*15,*16 [注] の枠組みの中で準備中である。この共同報告書ではこの指標の予備的結果に注目して、自然的価値の高い農地について、現在、目的にしていることを政策措置に基づいて分析する。

注: COM(2000)20およびCOM(2001)144では、環境問題を農業政策に統合されているかどうかを通知するための農業環境指標を定めている。この指標の作成と発表は、欧州委員会農業総局、共同研究センター、環境総局、EU統計局および欧州環境庁の共同プロジェクトで実施されている。

われわれの予備的な調査によれば、欧州の田園地域のおおよそ15〜25%が自然的価値の高い農地と推定される。最大の区域は東ヨーロッパと南ヨーロッパにある。その農地は半自然草地、デエサ(dehesas)*17、モンタドス(montados)*17、およびステップのような植生で構成される。自然的価値の高い農地は、山地に比較的多い。たとえば、英国の高地における放牧地および高山の放牧地や採草地があげられる。これらの地域の農業は、通常、粗放的であり、人為的変化の影響を受けやすい。

自然的価値の高い農地区域は、一般にぜい弱な経済と過疎化によって、厳しく、困難な状況におかれている。農業の大きな流れは、一方では集約化、他方では管理放棄である。いずれも生物多様性に悪影響を及ぼすと考えられる。自然的価値の高い農地区域の保全状態についての正確な情報はほとんどないが、ノガン(Otis tarda)、クロライチョウ(Tetrao tetrix)、およびウズラクイナ(Crex crex)など、農地に特徴的な種(characteristic species)*18、*19の個体数の推移は全体的によくない。

EUの政策的な対応としては、生息地指令と鳥類指令に基づく対象区域の保護および共通農業政策に基づく環境措置がある。加盟国が提案したNatura 2000*20,*21の保護区は、自然的価値の高い農地区域の3分の1にも満たず、この場合も、その保全状態は大部分がわかっていない。モニタリングシステムを開発中であるが、まだ利用できない。

自然的価値の高い農地区域を保全するための経費は、共通農業政策のいわゆる『第2の柱』*22に基づく措置、とくに条件不利地域対策*22および農業環境事業*22、*23に全面的に依存している。条件不利地域は自然的価値の高い農地区域と大部分が重なるが、各国の条件不利地域への支出額と、自然的価値の高い農地区域の比率との間には関係がみとめられない。農業環境事業についても、とくに自然的価値の高い農地を目的にしているとは思われない。自然的価値の高い農地の割合が高い国々、とくに南ヨーロッパでは、農業環境事業への支出がかなり少ない。

現行の政策措置が自然的価値の高い農地区域をさらに減少することを防ぎ、2010年の生物多様性目標を達成するには十分であるとは考えられない。とくに条件不利地域の支援および農業環境事業における農業援助の地理的目的を考え直す必要がある。現在のデータでは詳細な地理的分析が不可能であることを十分に認識しておくべきである。生息地と生物種の分布に関するデータの欠落を埋め、支援措置の目標を定めて、効果のあるものにすることがおもな取組みとして必要である。

自然的価値の高い農地とはなにか? なぜそれは重要か?

欧州は特有の農村景観で知られており、農村には文化遺産および自然遺産が豊富にある。地域的に異なる農業活動が、多くの動植物をはぐくむさまざまな農業生息環境をもたらしてきた。ところが田園地域において一般にみられる野鳥(common birds)*24,*25の個体数の経年変化に示すように(図1参照)[図表は、インターネット上の報告書
http://www.eea.europa.eu/publications/report_2004_1 (最新のURLに修正しました。2010年7月)
を参照いただきたい]、農地の生物多様性は、ほんの数十年で欧州全域で急速に減少している。

欧州において絶滅危惧種または危急種とされている野鳥の3分の2は農地に出現している。このことからも農業が関連の生物多様性に比較的大きな影響力を持つことは明らかである。そのため、適切な農業活動を維持することが、生物多様性の保全にとって重要である。

肥料や農薬の投入、機械の使用、そして生産性全体の点から、農業の集約化が強まると、生物多様性は一般に減少する(図2)。非常に集約的な耕作システムと草地システムは、ほとんどが単作である。ところがそのシステムは本来、生物多様性が低いにもかかわらず、それでも、渡り鳥の越冬地となることもある。

低投入農業は生物多様性が非常に高い*26,*27。粗放的な農牧システムも高い生物多様性を維持することが可能であるが、自然的価値の高い農地のほとんどは、半自然草地である[ボックス7]。この草地はまさしく生物多様性のホットスポットである。たとえば、オランダのフリースラント州では、施肥を行わない半自然草地は全面積の1.5%にすぎないが、陸上の植物の約60%がこの草地に生育している。

ボックス7 EUにおける半自然草地の保全

自然的価値の高い農地は草地ばかりでなく、農業生産活動に係わるその他の農地も含まれるが、もっとも自然的価値の高い農地は半自然草地や混牧林地などの低投入の農地であり、EUではその保全を非常に重視している。わが国においても、昭和20年代までは、このような半自然草地が約150万haもあったが、その後、輸入飼料に依存した加工型畜産の発展に伴い、その利用面積は急速に減少し、半自然草地の保全が緊急の課題である。そこで、EUにおける半自然草地に関する資料を以下に紹介する。

1)自然保護と牧畜に関する欧州フォーラム(EFNCP)は、英国統合自然保護委員会、世界自然保護基金および、欧州委員会第6総局から支援を受けた非営利団体である。この団体の目的は、自然保護および文化的に価値の高い欧州の農業システムへの理解を深め、これに関わる研究者と農業者を結びつける情報の交換および普及を促進させることである。さらに、このような農業システムおよび文化的景観を維持発展させるための政策の開発および推進するために、自然的価値の高い牧野システムに関するフォーラムの実施や報告書を発行している。たとえば、2003年2月には森林と自然的価値の高い放牧地との統合化について、2004年1月には、デカップリング支払いが自然的価値の高い農業システムに及ぼす影響について、2004年3月にはEUの拡大が中・東欧における自然的価値の高い牛生産システムに及ぼす影響について、それぞれフォーラムを開催している(1)

2)Hellegers (1998)は、自然的価値の高い欧州11ヵ所の家畜生産システム区域を調査した結果、これらの調査区域は利用放棄あるいは集約化によって維持することが危ぶまれており、これらの区域を維持するためには、高品質の畜産物生産とCAPによる支援が重要であると報告している(2)

3)Wrbkaら(2002年)はオーストリアのアルプス農業を自然的価値の高い農地をランドスケープによる手法で分類し、3分の1の土地は自然的価値の非常に高い、もしくは高い土地に分類されるが、これらのなかで谷津地形を形成する区域は利用が放棄され、変貌(へんぼう)している。しかし、その他の条件不利地域の農業はまだ伝統的農業が営まれ、広大な半自然の生息地が維持されており、この農地を維持するためには補助金と直接支払いが重要な役割を果たすと報告している(3)

参考資料

(1) http://www.efncp.org/

(2) http://www.mluri.sari.ac.uk/livestocksystems/dublin/hellegers.htm

(3) (対応するページが見つかりません。2010年12月)

Baldockら(1993,1995)は、生物多様性と管理活動の視点から低投入農業システムの一般的な特徴を説明し、このようなシステムの農地に自然的価値の高い農地という言葉を用いた。低投入農業システムの多くは、農地面積当たりの飼養密度が低いこと、化学資材の利用が少ないこと、人力による頻繁な集約的管理作業(たとえば、家畜の監視作業)であることなどによって特徴づけられる。

自然的価値の高い農地の代表的な例は、英国の高地の粗放的な放牧地、高山の採草地と放牧地、東ヨーロッパと南ヨーロッパのステップ地帯*28、スペインとポルトガルのデエサ(dehesas)とモンタドス(montados)などである。とくに生物多様性に関して重要なのは、中・東欧の小規模な農業システムであり、これらのシステムは、生物種に豊む半自然草地の形成と維持に役割を果たしている(図3)*29

自然的価値の高い農地の消失を防止するために措置が必要であることは広く理解されている。その農地を保全することが、EUの農村開発政策の明確な目標である。農村開発に関するEU規則(1257/99)の第22条には、『脅威にさらされている自然的価値の高い農業環境の保全』を支援すべきことが述べられている。残念なことに、自然的価値の高い農地の定義はこれまであいまいなものにすぎなかった[ボックス8]。そのため、この農地の分布および監視のデータの不足は、自然的価値の高い農地を政策措置の対象にすること、そしてその措置の有効性を洞察する妨げとなった。欧州各国の環境担当大臣は、2003年5月にキエフ会議において、このことを認め、その最終決議(国連欧州経済委員会(UN/ECE) 2003)において、農業と生物多様性に関して次のように表明した:

「合意された共通の基準を使用して、欧州全域の農業生態系における自然的価値の高い農地区域の特定を2006年までに完了する。2008年までに、農村開発政策手段(rural development instrument)*30、農業環境プログラム、有機農業など、適切な方法を使って、とくに経済的および生態的に成り立つように支援し、これらの地区のかなりの部分を生物多様性に注意を払った管理下におく。2008年までに、欧州全域の農業への財政支援と奨励事業は、生物多様性の保護および持続可能な利用を考慮して実施する」。

ボックス8 自然的価値の高い農地に関する資料の紹介

本文でも述べているように、自然的価値の高い農地であることを特定し、その農地の支援措置を実施するには、どのような農地が自然価値の高い農地であるかを定義しておかなけらばならない。そのため、これまでにもEUは自然価値の高い農地を農業政策に組み入れることをめざし、いくつかの報告が行われている。その主な資料を下記に紹介する。

1) CAPにおける「自然価値の高い農業システム」

自然的価値の高い(high nature value)という用語がEUの農業政策の中で本格的に使用されるようになったのは、1997年に発表された欧州委員会第6総局(農業)の専門家グループによる報告書「欧州の共通農業・農村地域政策に向けて(CARPE)」であると思われる(1)、(2)、(3)

この報告書ではEU農業を農産物の価格支持政策から農業の多面的機能を担う農村開発政策に転換する必要性を強調しており、この用語はアジェンダ2000に基づくCAP改革におけるキーワードの一つとして使用されるようになった(4)

CARPEは、市場の安定化、環境・文化的景観支払い、農村地域開発構想、過渡的調整支援の4つの柱から構成され、環境・文化的景観支払いの柱の中に自然的価値の高い農地に関する項目が記述されている。自然的価値が高い農業システムとはどんなシステムであるのかを、放牧システムで説明している。半自然草地は自然的価値が非常に高い農地に分類されるが、半自然草地ばかりでなく、構成草種、草地管理、放牧圧によって、生物多様性を保全し、自然的価値の高い草地にすることが可能であるとしている。また耕作地においても総合農場管理や総合作物管理が実施される農地は自然的価値の高い農地に分類することが可能であるとしているが、厳密な定義による分類は行われていない(5)、(6)、(7)

参考資料

(1) http://europa.eu.int/comm/agriculture/publi/buck_en/index.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

(2) http://europa.eu.int/comm/agriculture/publi/buck_en/722.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

(3) http://www.maff.go.jp/kaigai/1998/19981120eu34f.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

(4) http://www.maff.go.jp/kaigai/seisaku/f_seisaku_eu_3.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)「3-(2)農業環境政策」の、「環境保全・田園地域維持に配慮した農業への助成対象」の項を参照

(5) http://www.leafuk.org/leaf/about/abouttheorganisation.eb (最新のURLに修正しました。2010年7月)

(6) http://glossary.eea.europa.eu/EEAGlossary/I/integrated_crop_management (最新のURLに修正しました。2010年7月)

(7) http://www.ecifm.rdg.ac.uk/integrated_crop_management.htm

2) EEAによる「自然的価値の高い農業区域」

上述のように、CAP改革において使用される自然的価値の高い農業システムは、極めて粗放的な農業システムから農業活動を適切に投入した農業システムまで、さまざまである。しかし、本報告でも述べているように、自然的価値の高い農地の定義はこれまで明確ではなかった。そこでEEAはこれに関する検討会資料「自然的価値の高い農業地域−概念規定および農業環境指標の開発」を公表した。この資料にはEUレベルで共通に使用可能な農業環境指標となりうる自然的価値が高い農地区域の定義、およびその区域を区分するために必要なデータセットの作成と分析の方法が具体的に記述されており(1)、本報告書の理解を深める上で役に立つ。

参考資料

(1) http://webpubs.eea.eu.int/content/irena/documents/naturevalue.pdf (対応するページが見つかりません。2010年7月)

自然的価値の高い農地の分布と保全状態に関する予備的データは、欧州環境庁向けに開発した欧州の指標をもとにして得ることができる[注1]。その考え方は、土地被覆、農業システム(規模、生産物、使用資材、管理など)および生物種の分布の解析に基礎を置いている。現在のEU加盟国における土地被覆データのみによって、自然的価値の高い農地の推定分布を図4に示した[注2]。他の条件によってある程度変動はあるが、自然的価値の高い農地が広く展開しているのは、南ヨーロッパや山地地域などの条件不利地域である。

注1: データは当初、EU15か国のみであったが、現在も進行しているこのプロジェクトは、新規加盟国にも拡大する計画である。区域としては明確ではないが、中・東欧の新たなデータは附則Bを参照。

注2: 土地被覆区分、農業システム区分および野鳥の種類区分のすべてを統合した自然的価値の高い農地区域の地図は、方法論的にさまざまな問題があるために、現段階では作成できない。附則書Aを参照。

自然的価値の高い農地の動向

現代の技術や農業機械の使用を妨げる自然条件、一般的な社会・経済的制約あるいは両者の複合条件のために、自然的価値の非常に高い農業システムが粗放的になるのは必然性がある。自然的価値の高い農地は、集約化と管理放棄という対照的な流れによって危機にさらされている。

集約化

自然条件と経済的な条件が受け入れられるなら、農業は収量と全体効率を高めるために集約化に向かうであろう。これは、西ヨーロッパの大部分で、この2、30年にわたって、絶え間なく続けられ、肥料の投入量や、乳量・穀物収量の増加をもたらした。東ヨーロッパでは、農業部門への投資は、1990年代の政治・経済的な変動によってかなり低下した。このことは窒素肥料の使用量の急激な低下をもたらしている(図5)。

西ヨーロッパにおける肥料の使用量は、おおよそ横ばいであったように考えられる。中・東欧での現在の投入量は比較的低いが、2004年以降、加盟後の新たな農業経済の枠組みによって、EU新規加盟国にある程度の集約化をもたらされると思われる。

環境問題は、西ヨーロッパに、集約化速度をいくらか減少させる圧力になると思われるが、中・東区の多くの地域の農業は、集約化の圧力が高まり、自然的価値の高い農地の一部は、近い将来に集約化にさらされるであろう[ボックス9]

ボックス9 新規加盟国における自然的価値の高い農地への影響

本文でも述べているように、EU新規加盟国における農地の集約化あるいは利用放棄が進むことによって、自然的価値の高い農地に悪影響を及ぼすことが懸念されており、これに関する報告が目につくようになってきた。その主な資料を紹介する。

EEAの報告によると、とくにバルト諸国や中央ヨーロッパ山岳地域で、自然的価値の高い草地の利用放棄が増大している。この原因は牛・羊の増頭のための経済的支援がEU拡大協定によって制限され、集約化と草地から耕地への転換が行われていることによる。これは生物多様性の高い草地への重大な脅威となっており、農村開発措置の強化が必要であるとされている(1)、(2)

新規加盟国には景観的に価値が高く、また生物多様性の高い、粗放的に管理された農地が多い。新規加盟10か国の総農地面積は9,624万haであるが、そのうち705万haが半自然草地である。Gatzweilerら(2003年)はチェコ共和国の景観ならびに生物多様性が保護されている地区(農地全面積に対する草地面積の割合が72%)を中心に農業構造を解析し、チェコ共和国、ハンガリーおよびスロベニアを比較して、これらの自然的価値の高い景観を保全するための農業環境政策を提案した(3)

EEAは2003年の欧州の環境評価に関する報告書を発行した(4)。中・東欧の農地の生物多様性の保全状態は西ヨーロッパよりも良好であるが、放牧地の利用放棄、あるいは放牧圧の減少により、顕花植物が多く生育する草地が林地化あるいは低木林化して、生物多様性が失われている。そのおもな原因は生物多様性の保全に重要な役割を果たす半自然草地や粗放利用農地の放棄である。

参考資料

(1) http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/agrifood/agrienvi/04043001.htm

(2) http://www.eea.europa.eu/publications/environmental_issue_report_2004_37 (最新のURLに修正しました。2010年7月)

(3) http://www.fao.org/regional/seur/ceesa_vol1_en.pdf

(4) http://reports.eea.eu.int/environmental_assessment_report_2003_10/en/kiev_chapt_02_3.pdf (対応するページが見つかりません。2010年12月) の47ページを参照

利用放棄

粗放的な農業が行われている農村地域の社会・経済的条件は、一般に良くない。これらの多くの地域は過疎化しており、田園地域と環境に大きな影響を及ぼしている。また、これらの地域は、収入が低く、労働条件が厳しく、社会福祉事業が十分でないことが多く、農業は若者にとって、一層、魅力の少ない職業になっている。すでに農業者の高齢化が非常に進み、これらの結果、農地の放棄が予想されている。

土地の管理放棄は、農業生産性が比較的低い地域において、すでに共通の現象となっている。この状況は中・東欧においてとくに懸念されており、このような政治的・経済的な変化は、農業条件に悪影響を及ぼしている。

図6にエストニアにおいて放棄された耕作地の推移を示した。同図に示すように、現在、放棄された耕作地の割合は25%以上の水準にあり、永年草地では56%に達する。放棄された土地の数値は一般の農業統計では簡単に求めることができないので、他の国における同様な統計数値はきわめて少ない。このため、欧州全体としての状況はつかめないが、粗放的農業システムは経済的に成立することが難しいことからすると、このシステムは極めて放棄されやすいと思われる。

自然的価値への影響

以上のような農業の変化によって、半自然植生の消失がもたらされた。事例調査は多くあるが、植物群落と生息地について、欧州全体の動向についての使用可能で信頼できるデータは今のところない。使用可能な最良のデータは野鳥についてのデータである。農地に生息する野鳥は農地の生物多様性全体の指標となる。野鳥は、さまざまな動植物の餌や摂食、営巣、あるいは捕食者からの避難場所として、さまざまな植生構造を農地に依存しているからである。欧州で減少している野鳥の40%以上の種が農業の集約化の影響を受ける一方、利用放棄によって、20%以上の種が影響を受けていると推定されている。

農地に生息し、保全状態がよくない上位102種の累積分布を図7に示した。農地に生息する種のうち、保全状態がとくに懸念される種がヨーロッパ全域で出現しているが、その多くは農地の集約化と関連し、とくに南欧で著しい[注]。集約化によって生物多様性の保護が問題となっている事例をいくつか次に示す。

注: ヨーロッパ北部で種数が比較的少ないのは、必ずしも自然的価値の低いことや保護すべき野鳥がいないためではなく、高緯度地域では一般に野鳥の種数が減少するからである。

クロライチョウ(Tetrao tetrix)は、放牧が行われるヒースと湿原に生息するが、ヨーロッパのほとんど全域で急速に減少している。英国の高地の生息地では、過放牧や植林の影響を蒙り、個体数をやや減少させる原因となっている。西ヨーロッパの低地では、この種はどちらかと言えばかつて一般にみられる鳥であったが、生息地の破壊と農業の集約化によって、今では事実上絶滅した。たとえば、オランダにおけるクロライチョウの個体数は、1950年代の数千羽から現在の100羽足らずにまで減少した。

ウズラクイナ(Crex crex*31、*32は粗放的な草地に生息するが、この草地の消失がウズラクイナの大規模な減少をもたらした。その減少率は10か国で50%以上に達した。湿性草地の排水、集約化、および乾草用の非集約草地(hay meadow)*33からサイレージ用の集約草地への転換がおもな原因である。ウズラクイナは中・東欧ではもっとも一般にみられる種であったが、やはり生息地の消失と個体数の減少が起きている。

ノガン(Otis tarda)は、南ヨーロッパおよび東ヨーロッパのステップに生育する特徴的な種である。本種は、生息地の全域で著しく減少した。ハンガリーでは、1985年の2500羽から1990年の1100羽に減少した。その理由は採草地および放牧地が集約的に利用されるようになり、またトウモロコシとヒマワリの栽培が増加したことである。しかし1990年代にはハンガリーのノガンの個体数は安定した。

政策対応

全欧州生物・景観多様性戦略やEUの農業生物多様性行動計画などの戦略構想、EUの硝酸塩指令、鳥類指令、生息地指令などの環境法令、そしてEUによる分野別支援を含む、地域および国の両レベルの政策が広範囲にわたって欧州農業に影響を与える。これらの政策は、対象地区の義務的な保護を目的にするものか、より広い田園地域における自主的措置に基づくかのいずれかである。

対象地区の保護

EUレベルの対象地区を保護するためのおもな政策手段は、鳥類指令と生息地指令(79/409/EEC、92/43/EEC)*7、*34、*35である。生息地指令の附則I*36、*37には、加盟国が良好な保全状態を維持しなければならない自然/半自然生息地のタイプが列記されている。Natura 2000ネットワークは、生息地指令のもとで、加盟国が提案した、共同体に利益のある対象地区(pSCIs)[注]をもとにして作成される*38,*39。生息地指令の附則Iに記載された198の生息地タイプのうち、28のタイプが粗放農業管理を必要とし、自然的価値の高い農地とみなされる。

注: pSCIsには、さらに特別保護地区(SAC)としての指定がされなければならない。

Natura 2000ネットワークの中で農業生息地タイプが占める割合の概況を図8に示した。この傾向は自然的価値の高い農地の分布(図4)とかなり一致している。pSCIsの中での粗放農業生息地の平均比率は15%で、スペインと英国の一部地域では50%を超えており(図8を参照)、これらはその保全の価値があることをはっきり示している。

それでも、自然的価値の高い農地と重なるpSCIは、3分の1にも満たない。さらに、保護地区が公式に指定されても、良好な保全状態が保証されるわけではない。現在のところ、Natura 2000保護地区における動向について使用可能で、正確なモニタリングデータはない。対象地区を保護する措置は、おおむね、自然的価値の高い農地の少数を保全するのがせいぜいであろう。

広域の田園地域政策*40,*41

EUのレベルでは、自然的価値の高い農地、とくに保護地区以外の保全についてもっとも重要な政策枠組みは共通農業政策(CAP)である。CAPは2つの「柱」からなっている。

第1の柱は、農産品別の制度である。この制度は、もともとは市場介入の仕組みであり、特定の作物や畜産物のための価格保証、生産奨励や輸出補助金であった。このように農業生産を促進する手段であったが、あいついで行われたCAP改革を通して、第1の柱の補助金は生産からますます切り離された。今では、過去の生産実績に基づいた直接的支払いによって補助金が給付されている。2003年のCAP改革以降は、第1の柱の支払いを受けるには、環境要件に従わなければならない。とくに限界地域における農業を奨励する場合、環境破壊をより少なくすることが第1の柱で改正された点である。

CAPの第2の柱では、加盟国は農業の生態影響を軽減もしくは改善する措置を実施することが可能である。環境と調和した農業システムを支援するために使用できる措置がいろいろある。ところが自然的価値の高い農地の保全に関連する主要な措置は、農業環境事業と条件不利地域支払いだけである。以降の節では、これらの政策措置の地理的な目的について検討する。

農業環境事業

2003年に採択された現在の農村開発規則(規則1257/99を差し替えた規則1783/2003)に基づき、加盟国は農業環境事業の実施が義務づけられている。脅威にさらされている自然的価値の高い農業環境を保全することを含め、農業者は環境的に好ましい措置のための支援を受けることができる。

この規則は柔軟性があり、加盟国は地域の環境問題に合った事業を計画することができる。その結果、農業環境事業は非常に多様であり、一般に、合意された共通の基準に基づいた地理的に明確な区域を対象としたものではない。EU加盟国における農業環境事業の適用範囲を図9に示した。

農業環境事業の実施の程度は、それぞれの国でかなり違いがある。フィンランド、スウェーデン、ルクセンブルク、オーストリア、ドイツでは、利用農地面積の比較的に大きな部分が農業環境事業を受けているが、ベルギー、オランダ、スペイン、イタリア、ギリシャではそうではない。

一般に、面積当たりの農業環境支出総額と、自然的価値の高い農地面積の割合との間には、はっきりした関係はない(図10、詳細は附属書Bを参照)。スペインなど大面積の自然的価値の高い農地を有する国は、農業環境事業の面積当たりの予算額が少ない。国内の地域別の支出動向については利用しうる正確なデータはないが、生物多様性の保全の観点からすると、欧州のレベルで農業環境措置は、最良の目的であるとは決して思われない。さらに、生物多様性を目的にする現行の農業環境事業は必ずしも効果的でなく、またそれらのモニタリングのほとんどが十分でないことが最近の研究で明らかにされた。

条件不利地域

条件不利地域の農業者は、従来のCAPの支援に加えて面積当たりの支払いを受ける資格がある。これらの補償支払いは、社会的な目的と環境的な目的を組み合わせたものであり、CAPの第2の柱の一部である。これらの支払いは、一般的に、自然の制約を受ける限界地域における農業の収益性を高めるので、集約化とくに集約放牧への誘因にならなければ、自然的価値の高い農地の放棄を防ぐ効果的方法になるであろう。条件不利地域の支援を受けるには、加盟国が定める適正な農業活動を遵守する必要がある。その上、多くの地域において農地面積当たりの家畜飼養密度の上限が定められているが、この上限値は保全の観点からしばしば高すぎる場合が多い。たとえば、フランスの山地の条件不利地域では、ヘクタール当たり1.8家畜単位*42の上限が適用されている。

加盟国は、計上する歳出額だけでなく、条件不利地域支払いの細部計画でもかなりの裁量権をもっている。図11に指定された条件不利地域の分布を示す。EUで使用されている農地面積の半分以上が条件不利地域に該当し、高地の山地地域のすべてが含まれる。自然的価値の高い農地は、塩湿地、湿性草地、乾草用採草地など条件不利地域以外の生産的な地域にもいくらかあるが、ほとんどは条件不利地域内にある(図4と比較)。両者は場所的に大きく重なっているにもかかわらず、条件不利地域の実際の支出額と、条件不利地域に占める自然的価値の高い農地区域の割合との間の関係は明確ではない(図12、詳細は附則Bを参照)。これは、自然的価値の高い農地の放棄を防止するために、条件不利地域支援を十分に利用されていないことを示唆している。

考察

補助金の地理的な目的は、CAP改革の理論的根拠の点からみて考え直すべきである。持続可能性と非貿易的関心事項*43,*44に重点を移すことで、最高の環境的な特性を示し、もっとも環境の変化に対して脆弱(ぜいじゃく)な地域にとくに投資することが可能になる。自然的価値の高い農地区域を目的とする措置を改善すべきである。

この点で、条件不利地域支払いおよび農業環境事業のみが重要な手段ではない。2003年のCAP改革で導入された環境基準が環境被害および/または放牧の減少を防止するのに十分であれば、自然的価値の高い農地区域が経済的に成り立つように支援する(今は、大部分が生産と切り離された)第1の柱でできることは重要である。ただし、これまでの歴史的生産水準に基づいて支援する現在の支援方法は、この点で最適でない。

現在の統計数値には、まだ欠落部分が多くあり、このことが自然的価値の高い農地の最近の動向および政策措置の効果の詳細な分析の妨げとなっていることに十分に認識しておくべきである。次のものがぜひ必要である:

・ 自然的価値の高い農地の分布に関する情報の更新と精密化(できれば国の詳細なデータセットに基づいて);

・ 支出に関して区域の明確なデータと、それに対応するCAP手段の環境目標;

・ 生息地と生物種の豊かさに関する欧州全域のモニタリング;

・ 個々の農業環境事業の有効性の正確な比較・分析調査;

・ 非EU諸国の(自然的価値の高い農地および政策措置についての)状況に関する比較可能なデータ

結論

・ 自然的価値の高い農地は欧州の田園地域の価値ある資産として広く認識されており、広範囲にわたる種の生息地となっている。この農地の保全状態を良好に維持することが生物多様性の減少を停止させるという2010年目標を達成する鍵である。

・ 自然的価値の高い農地の面積は、欧州で利用されている農地の約15〜25 %を占める。その分布は不均一で、ヨーロッパの周縁地域に集中している。

・ 自然的価値の高い農地の保全状態は十分に知られていないが、生物多様性の減少が深刻であることが事例調査で示されている。その主要な脅威は農地の集約化と利用放棄である。

・ 鳥類指令と生息地指令に基づく対象地区の保護が適切であるが、保全方法は十分ではない。この措置の恩恵を受ける地区は自然的価値の高い農地面積のせいぜい3分の1程度であろう。

・ 保護地区以外では、自然的価値の高い農地の保全はおもにCAPの手段、とくに条件不利地域の支援と農業環境事業が適用されるか否かによって左右される。しかし、これらの手段は自然的価値の高い農地区域を目的とした適切な手段であるとは思われない。とくに南ヨーロッパの自然的価値の高い農地区域は比較的少ない支援しか受けていない。

・ 全体として、2010年の生物多様性の目標は、自然的価値の高い農地の保全に対する新たな政策取り組みがなければ達成されそうにない。

附属書A: 自然的価値の高い農地の定義

一般的な概念

自然的価値の高い農地の指標は次のタイプに分類される:

タイプ1: 半自然植生の割合が高い農地。

タイプ2: 低集約農業または半自然植生と耕地のモザイク、かつ小規模な形状の農地。

タイプ3: 希少種または欧州や世界の個体数のかなりが確認されている農地。

タイプ1とタイプ2の区域は、土地被覆データ(Corineデータベース*45,*46)と、農場レベルの農家会計データ(FADN)*47,*48によって特定する。これらの二つの調査法を組み合わせると、両タイプの分布と営農の特徴の情報が得られる。タイプ3の区域は、あくまでも生物種の分布データがなければ特定できない。データの制約のため、その農地で繁殖している鳥類(breeding bird)*49だけが特定可能であった。さまざまな結果をすべて一緒にして一つの地図にすること、もしくは自然的価値の高い農地の各タイプについて、別々の地図に作成することは、現段階では不可能である。

これらの調査法には、それぞれ利点と欠点がある。生物種による区分法は、データの欠落の影響を受けるので、自然的価値の高い農地を区分する方法ではなく、追加的情報と考えるべきである。土地被覆データは自然的価値の高い農地の空間的分布をもっともよく表すことができ、農場レベルのデータは自然的価値の高い農地の占める合計割合について、信頼できる指標となると考えられる。

土地被覆区分法

土地被覆による分析のため、自然的価値の高い農地と思われる農業生息地を、地域的に区別して選定した(考えられるすべての農地生息地については表A1を参照)。その最大と最小の区域を推定した。最大の区域の推定では、自然的価値の高い農地を含む可能性のあるすべての土地被覆区分を含めた。最小の区域の推定では、自然的価値の高い農地を含む可能性が高い土地被覆区分だけを含めた。図4の地図は最小の区域の推定に基づいている。

農業システム区分法

農業システムの区分を、生産、資材投入および管理の特徴をベースにして行い、次の主要タイプに区分した:

・ 自然的価値の高い作物栽培システム:低集約耕作システム。このシステムでは家畜が飼養されることもあるが、主要な収入源ではない;

・ 自然的価値の高い永年農作物システム:オリーブや、そのほかの永年農作物の低集約栽培システム;

・ 自然的価値の高い農場外放牧システム:農場の外、たとえば共有地での、牛、羊または山羊の放牧システム;

・ 自然的価値の高い永年放牧草地システム:永年草地もしくは粗放放牧地からの牧草をおもに用いて飼養する、牛、羊または山羊の飼養システム;

・ 自然的価値の高い耕作地による飼養システム:牧草・飼料作物(arable crops)*50、*51をおもに用いる、牛、羊もしくは山羊の飼養システム;

・ 自然的価値の高いその他のシステム:主としてブタまたはニワトリの低集約飼養システム。

土地被覆区分法と同様に、農業システムの分類を最大値と最小値で区分した。この共同報告書の計算では、最小値だけを用いた(表A2と図A1も参照)。

野鳥の種類区分法

TuckerとHeath(1994)は、欧州全域の野鳥について保全状態を評価し、欧州で保全上懸念される種(SPEC)のリストを作成した。欧州で保全上懸念される種は、全世界および欧州の野鳥の状態、および世界の総個体数に対する欧州に生息する個体数の割合に従って4段階に区分した。SPEC の指定はとくに保全上懸念される要注意の特別種として認められるようになった。

合計102種をこの解析の対象種として選んだ。このリストには、欧州全域の農地と潜在的に関連すると思われる種が1〜3種、すべての区分に含まれる。累積分布は、欧州で繁殖する野鳥のEBCC*52地図に基づいて作成された。

参考資料

*1: http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1486

*2: http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/wssd/type_2/3_4_1.html

*3: http://www.coe.int/T/E/Cultural_Co-operation/Environment/Nature_and_biological_diversity/Biodiversity/stra-co21e_04.pdf?L=E (対応するページが見つかりません。2010年7月) のSTRA-CO(2004) 3b rev2 を参照

*4: http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1997/01241/contents/009.htm のベルン条約の項を参照

*5: http://www.pcl-eu.de/project/convention/index.php

*6: http://www.coltnet.co.jp/bunka/articles/articles_inaba1.html (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*7: http://www.birdlife.org/action/change/europe/habitat_directive/ (対応するページが見つかりません。2011年10月)

*8: http://www.envix.co.jp/99_others/ecofigure.html (対応するページが見つかりません。2010年7月) Eの自然保護の項を参照

*9: http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1449

*10:http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1606

*11:http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/mgzn033.html#03310

*12:http://www.coe.int/T/E/Cultural_Co-operation/Environment/Nature_and_biological_diversity/Biodiversity/stra-co21e_04.pdf?L=E (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*13:http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=5377

*14:http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200308_631/063103.pdf

*15:http://ies.jrc.ec.europa.eu/irena-project (対応するページが見つかりません。2011年10月)

*16:http://www.eea.europa.eu/projects/irena (最新のURLに修正しました。2010年7月)

*17:http://www.efncp.org/farm_uk/farm_wood.html (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*18:http://www.northlincs.gov.uk/NorthLincs/Environment/localagenda21/ (対応するページが見つかりません。2010年7月) There are 12 sustainability indicators which Jigsaw partnership have agreed to measure の6を参照

*19:http://honeybee.helsinki.fi/mmsbl/aeko/research/proj_ih.htm#Role (最新のURLに修正しました。2010年7月)

*20:http://www.natura2000.lt/en/apie.php (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*21:http://ec.europa.eu/environment/nature/natura2000/index_en.htm (最新のURLに修正しました。2010年7月)

*22:http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/mgzn052.html#05216 の「1.環境保全を促進する農業政策」を参照

*23:http://www.dsr.kvl.dk/forening/biebrza/images/pdf/5eu.pdf (対応するページが見つかりません。2013年12月)(この資料にはEUの農業環境政策に係わる用語(programme, scheme, measure)が説明されている)

*24:http://www.bto.org/survey/complete/cbc.htm (最新のURLに修正しました。2010年7月)

*25:http://www.environment-agency.gov.uk/yourenv/eff/wildlife/213126/common_birds/?lang=_e (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*26:http://www.mluri.sari.ac.uk/livestocksystems/tdv/pienkowski.htm

*27:http://reports.eea.eu.int/environmental_assessment_report_2003_10/en/kiev_chapt_02_3.pdf (対応するページが見つかりません。2010年12月)235〜237ページ参照

*28:http://www.fao.org/DOCREP/003/Y1899E/y1899e11.htm

*29:http://www.veenecology.nl/data/IntroductionNaturalGrasslandsCEEC.PDF (対応するページが見つかりません。2013年12月)

*30:http://europa.eu.int/comm/agriculture/rur/access/index_en.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*31:http://otanichikara.ld.infoseek.co.jp/sagase1.html

*32:http://www.corncrake.net/Download/ireland.pdf (最新のURLに修正しました。2010年7月)

*33:http://www.wildlifeincumbria.org.uk/pdf/appendices.pdf (対応するページが見つかりません。2010年7月) のappendix2:glossaryを参照

*34:http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1449

*35:http://www.ekal.org.ee/restoration/fi/raeymaekers-palmse.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*36:http://www.eel.nl/Legislation/97_62.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*37:http://mrw.wallonie.be/dgrne/sibw/N2000/ (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*38:http://www.fern.org/pubs/briefs/Habitats%20Directive%20Oct%2004.pdf (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*39:http://www.bfn.de/en/03/030302.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*40:http://www.heritagecouncil.ie/publications/rural/agriculture.html (対応するページが見つかりません。2010年7月) のwider countryside の項を参照

*41:http://www.publications.parliament.uk/pa/ld199899/ldselect/ldeucom/119/11912.htm のBiodiversity in the wider countryside の項を参照

*42:http://lin.alic.go.jp/alic/month/fore/1998/aug/rep-eu.htm (最新のURLに修正しました。2010年7月) の飼養密度の積算の項を参照

*43:http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=3152

*44: http://www.maff.go.jp/j/use/tec_term/h.html#h17 (対応するページが見つかりません。2012年8月)(最新のURLに修正しました。2010年7月)

*45:http://glossary.eea.europa.eu/terminology/concept_html?term=corine land cover

*46:http://www.dhisoftware.com/mikebasin/helpsys/mbasinCorine_land_cover_data.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*47:http://www.maff.go.jp/kaigai/2000/20000105hungary10a.htm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*48:http://europa.eu.int/comm/agriculture/rica/index_en.cfm (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*49:http://glossary.eea.eu.int/EEAGlossary/B/breeding_bird (対応するページが見つかりません。2010年7月)

*50:http://www.websters-online-dictionary.org/definition/english/ar/arable+land.html (対応するページが見つかりません。2013年12月)

*51:http://www.websters-online-dictionary.org/definition/english/ar/arable+crop.html (対応するページが見つかりません。2013年12月)

*52:http://zeus.nyf.hu/~szept/Ebccat.JPG (対応するページが見つかりません。2010年7月)

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