農業環境技術研究所プレスリリース

プレスリリース
NIAES
平成21年8月18日
独立行政法人 農業環境技術研究所

食料生産・消費に伴う環境への窒素流出と水質汚染の変化を推定するモデルを開発
−将来の食料需給や農業生産の変化が環境に与える影響の予測への利用が期待−

ポイント

・ 食料の生産、貿易、消費に伴う窒素循環の変化と水質への影響を広域的に推定するモデルを開発。

・ 公開されている統計データなどを用いて、わが国および諸外国の窒素による環境影響の推定が可能。

・ 国や地域のスケールで、将来の食料需給や農業生産の変化が環境に与える影響を予測し、その対策のための基礎情報として活用。

概要

独立行政法人農業環境技術研究所 【理事長 佐藤洋平、茨城県つくば市】 は、食料生産・消費に伴って流出する窒素による環境への影響を推定するモデルを開発し、肥料の使用量、食料生産量・輸入量・消費量などの統計値に基づいて、地下水・河川水の窒素汚染の変化を長期的、広域的に分析しました。

食料生産・消費は、環境への窒素の流出を引き起こし、地下水や河川水の汚染の大きな原因となっています。わが国の窒素流出について、モデルにより推定したところ、1980年代後半までの人口の増加と一人当たりの食料需要の増大に伴って、肥料や食料輸入による国土への窒素流入量が増大し、同時に環境への窒素流出が増加したこと、1990年以降は、窒素肥料の使用量が減少したことにより、流出量は減少傾向にあることが推定されました。

環境へ流出した窒素による地下水や河川水中の窒素濃度の地域変動を推定した結果では、人口密度の高い大都市とその周辺や畜産の盛んな地域で高いことが示され、全国モニタリング調査の結果1,2)とよく一致しました。

一方、中国やタイ、ベトナムなどの東南アジアでは、窒素の国土への流入の大部分は肥料からであり、現在まで継続的に増加していることがわかりました。また、中国では農業の盛んな黄河、長江の下流域において窒素濃度が著しく高いことが推定されました。

本モデルにより、食料生産・消費にかかわるどの要因が水質汚染 (高い窒素濃度) の原因となっているかが地域ごとに示され、今後の人口推移に応じた食料需要の変化、飼料作物やエネルギー作物の栽培などによる環境への影響を予測することが可能となりました。

予算: 農業環境技術研究所運営費交付金研究 (2008)

問い合わせ先など

研究推進責任者:

(独)農業環境技術研究所 茨城県つくば市観音台3-1-3

理事長   佐藤  洋平

研究担当者:

(独)農業環境技術研究所 物質循環研究領域

上席研究員  工学博士  新藤  純子
TEL 029-838-8225

生態系計測研究領域

上席研究員  農学博士  岡本  勝男

広報担当者:

(独)農業環境技術研究所 広報情報室 広報グループリーダー

田丸  政男

TEL 029-838-8191
FAX 029-838-8299

電子メール kouhou@niaes.affrc.go.jp

開発の社会的背景と研究の経緯

わが国では平成11年に地下水の硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素(*1)の濃度に環境基準が設定されました。その後現在まで継続的に、全国の約5%の井戸で、環境基準を超過しています1)。また類型指定(*2)のある全国35湖沼水域の全窒素(*3)の環境基準の達成率はこの20数年間、数〜10数%にとどまっています3)。一方、大阪湾を除く瀬戸内海の全窒素濃度はほぼ環境基準を達成していますが、東京湾や伊勢湾における海域の環境基準達成率は60%程度で、赤潮の発生に伴う漁業被害の問題も継続しています2)。また、中国では近年、地下水や河川・湖沼の汚染が深刻化し、大きな社会問題となっています。窒素によるこれらの水質汚染は、生活排水や工業排水に加えて、農業、畜産が原因の一つであると考えられます。

これまで水質汚染はローカルな問題として対応がとられてきました。しかし、将来の水質の変化を予測し、関係する環境問題を効果的に解決するためには、作物生産、畜産、食料貿易、食生活などによる窒素のフロー (流れ) の変化を国や地域のスケールで把握し、各々の国、地域において、食料生産にかかわるどのような過程が水質汚染の原因であるかを定量的に推定することが必要と考えました。

研究の内容・意義

1.食料生産・消費を通じた窒素の循環に基づいて、環境への窒素の流出による水質影響を推定するモデル (窒素循環モデル) を作成しました(図1)。窒素は、化学肥料の投入のほか、食料や飼料の貿易、魚貝類の消費等によって外部から国土へ流入し (緑矢印)、作物、家畜、人の間を循環 (黒矢印) した後、地下水や河川などの環境へ流出します(橙矢印)(注1)。そこで肥料投入量、作物や畜産品の生産量、食料貿易などに関する統計データ (国連食糧農業機関(FAO)の国別統計や農水省の自治体別統計など) や、各食品の窒素含有率、畜産のタンパク質転換効率(*4)、アンモニア発生係数(*5)などに関する既存の文献値に基づいて、1961年から2003年の窒素の流れを推定しました。図1にはわが国の1961年、1988年および2003年の推定結果を示してあります。

図1 食料生産・消費に伴う窒素循環モデルの概要とわが国の窒素フロー推定結果 (フロー図);1961年・1988年・2003年の輸入窒素量は、作物として17・81・84万トン、プロテインミールとして2・10・24万トン、畜産品として0.3・4・6万トン。農地に流入する窒素量は、肥料として63・64・53万トン、窒素固定で25・18・17万トン、家畜ふん尿(有機肥料)として20・72・66万トンなど。大気へのアンモニア放出は、農地から7・7・6万トン、家畜ふん尿から7・31・29万トン。水環境への放出は、農地から55・86・83万トン、下水から41・66・68万トンなど。

図1 食料生産・消費に伴う窒素循環モデルの概要とわが国の窒素フロー推定結果

青字:1961年赤字:1988年、黒字:2003年 (単位 万トン)。
肥料や家畜ふん尿から発生するアンモニアは移流、拡散して、ガスや粒子として、また降水に溶けて、陸域に広く沈着する。プロテインミールとは、ダイズなどの油脂作物の絞り滓などを原料とした高タンパク飼料。本推定では魚肉などを原料に作られたミールは、「魚貝類」に含めた。人からの排出量は下水処理前の値。

2.図1の矢印で示した各々の窒素の流れを推定した結果、わが国では、1980年代後半まで、人口の増加と一人当たり畜産品消費量の増加により、食料および飼料として消費される窒素量が増加しましたが、1990年以降はほとんど変化がないことがわかりました。また、窒素の国土への全流入量と環境への流出量も同様の年変化をしています(図2)。窒素肥料の投入量は徐々に減少し、作物輸入による窒素流入量が大きな部分を占めるようになったことが推定されました。窒素の総流入量と人口の変化を比較すると、一人当たりの流入量は1990年頃までわずかに増加しましたが、その後は減少しています。総流出量も、1980年代後半から減少の傾向にあることがわかります(図2)

図2 わが国の国土への窒素の流入と環境への流出量の経年変化 (グラフ);1961年:人口9千万人 窒素流入100万トン、1988年:1億2千万人 200万トン、2003年:1億2千万人 200万トン

図2 わが国の国土への窒素の流入と環境への流出量の経年変化

3.食料生産・消費由来の窒素の環境への流出量と化石燃料に由来する窒素酸化物の大気からの沈着量に基づいて、メッシュごとに河川水と地下水の全窒素濃度分布を推定しました (図3は河川水濃度分布の例 (単位 mg N/L))。人からの窒素流出については、広域下水道で処理された水は直接海に、小規模処理施設や浄化槽で処理された水はそのメッシュの河川に排出されると仮定しています。推定された濃度は窒素流出量の経年変化と同様、1980年代後半まで上昇し、その後わずかに減少しています。大都市周辺と、畜産の盛んな地域 (北海道西部、北関東、九州など) に高濃度の地点が分布しました。このような地域分布は、地下水と河川水の全国モニタリング結果1,2)と良く一致しています。

図3 河川水窒素濃度分布の推定結果 (メッシュマップ);1961・1988・2003年の全国メッシュマップ。大都市周辺と、北海道・北関東・九州などの畜産の盛んな地域に高濃度の地点が分布。

図3 河川水窒素濃度分布の推定結果

約8kmメッシュごとに推定。

4.同じモデルを中国や東南アジア各国に適用しました。中国の場合、人口の増加速度を上回る速度で窒素の流入量と流出量が増大し、流入する窒素の大部分は窒素肥料起源であること、1980年代以降、一人当たりの窒素総流入量はわが国を上回っていることなどが推定されました(図4)。河川水、地下水の水質は、中国の黄河と長江下流域の農業地帯を中心に、急激に窒素濃度が上昇し、現在著しい窒素汚染が進行していることが推察されました(図5)。タイやベトナムにおいても同様に、肥料起源の窒素の流入量、流出量が急激に増加していますが、地下水や河川水へ顕著な影響は現れていないと推定されました。

図4 中国の国土への窒素の流入と環境への流出量の経年変化 (グラフ);1961年:人口7億人 窒素流入500万トン、1988年:11億人 2000万トン、2003年:13億人 3600万トン

図4 中国の国土への窒素の流入と環境への流出量の経年変化

(スケールが日本の10倍となっている)

図5 中国の河川水窒素濃度分布の推定結果(色分けマップ);中国では、1995年から2003年に、黄河と長江下流域の農業地帯を中心に急激に窒素濃度が上昇しているが、日本では大きな変化は見られない

図5 中国の河川水窒素濃度分布の推定結果

約50kmメッシュごとに推定。中国に関しては、人から流出する窒素は下水処理されたものも、処理後メッシュ内の河川に流入すると仮定した。

今後の予定・期待

わが国、および食料貿易を通してわが国との関連の深い中国や東南アジアの国々における、今後の人口変化に応じた食料需要の推移や、飼料作物やエネルギー作物の栽培面積の増加など、農業生産に関するシナリオに基づく、環境への影響評価に利用されることが期待されます。

引用文献

1) 環境省 地下水質測定結果 平成7年度〜19年度
http://www.env.go.jp/water/chikasui/

2) 環境省 公共用水域の水質測定結果 昭和59年度〜平成13年度

3) 環境省 平成19年度公共用水域水質測定結果 など
http://www.env.go.jp/water/suiiki/

用語の解説

*1 硝酸性窒素・亜硝酸性窒素: 硝酸イオン・亜硝酸イオンの形で存在する窒素で、植物や微生物の養分であるが、土壌から水系へ流出しやすく、地下水の汚染や河川・湖沼の富栄養化の原因となる。地下水・河川・湖沼・海域に関して、人の健康を保護するための環境基準が両イオンの合計で10 mg N/Lに設定されている。

*2 類型指定: 河川、湖沼、海域に関して、汚濁状況、立地条件、利用目的などに基づいて設定された各々数段の分類。

*3 全窒素: 硝酸性窒素、亜硝酸性窒素のほか、アンモニア性窒素や有機窒素を含む。全窒素は、生活環境の保全に関する項目として、湖沼と海域について、類型ごとに 0.1〜1 mg N/Lの環境基準が設けられている。水域内に設定された測定地点(基準点)の全てが基準を満たしている場合に達成水域と呼ばれ、環境基準達成率とは全対象水域のうち達成水域の割合を表す。

*4 タンパク質転換効率: 飼料として与えたタンパク質量に対する畜産品中のタンパク質量の割合。畜産品の種類によって異なり、牛肉生産の転換効率は5%程度、豚肉は約10%、鶏肉は約20%、牛乳・鶏卵は約30%である。

*5 アンモニア発生係数: 施肥した窒素肥料および家畜ふん尿に含まれる窒素のうち、アンモニアとして揮散する窒素の割合。

注1 この推定では、アンモニアとして揮散した窒素を除く、家畜ふん尿中の窒素がすべて堆肥として農地に還元されると仮定していますが、実際には農地を経ずに直接環境に流出している部分もあります。わが国では、一定規模以上の農家に対して、家畜排せつ物の適正な処理・保管が義務づけられており、厩舎の排水は下水処理の後河川へ放水されています。また、野積みされたふん尿などからの流出も存在します。

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