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情報:農業と環境 No.93 (2008.1)
独立行政法人農業環境技術研究所

論文の紹介: 微生物複合体の構造・機能の解明をめざすメタゲノム解析

Comparative Metagenomics Revealed Commonly Enriched Gene Sets in Human Gut Microbiomes
Ken Kurokawa et al. DNA Research 14, 169-181 (2007)

ヒトゲノム解読プロジェクトの終了後、さまざまな生物のゲノム解析が進められている。その中で、従来のサンガー法に代わり、次世代シーケンサーが次々と開発されており、遺伝子の塩基配列解析の速度は加速度的に増している。この大量シーケンス時代に注目されているのが、メタゲノムである。

環境中では、さまざまな種類の微生物が複合体として存在し、機能している。その大部分が従来の方法では培養できないため、環境中の微生物群集の全体像を知ることは困難だった。近年、土壌や水などの環境中から直接 DNA を抽出して、その中の 16S rDNA の塩基配列を調べることによって、膨大な未知の微生物が存在することが明らかになってきた。しかし、この方法ではそれらの微生物がどのような機能を持つかまではわからなかった。そこで、特定の配列を選別するのではなく、すべての塩基配列を読み出し、各環境中に存在する機能に対応する配列を明らかにすることによって、複合体の構造と機能を解明する試みがなされている。メタゲノム解析とは、このように、自然界の複雑多様な微生物集団のゲノムシーケンス情報を大量に取得し、インフォマティクス解析にかけることで、構成菌種や遺伝子組成などを明らかにしようとするものである。

海洋や土壌、廃水処理槽など、さまざまな環境について、メタゲノム解析が進められているが、とくに研究が進んでいるのがヒトの腸内微生物相である。ヒト腸内には、ゲノムサイズではヒトをもしのぐ量の微生物が存在し、ヒトの健康に大きくかかわっている。また、腸内は比較的閉じた系であるため、土壌などに比べると微生物相は単純で、機能もはっきりしている。メタゲノムの中では比較的解析を進めやすい材料であるため、世界的に、いくつかの大規模なプロジェクトが進行している。

2006年、Science 誌で、アメリカ人の腸内微生物相のメタゲノム解析結果が、同年 Nature 誌で、モデルマウスの肥満と腸内微生物相のメタゲノムとの関係が報告されている。ここで紹介するのは、健康な乳児から成人を含む日本人13人についてヒトの腸内メタゲノム解析を行い、これまでに報告されたヒト腸内やその他の環境のメタゲノムとも比較した論文である。異なる環境に適応するため微生物相がどのような戦略をとるのかを示す興味深い研究である。

すでに報告されたアメリカ人の腸内微生物相の解析結果との比較では、微生物の系統分類群は異なっていたが、遺伝子の機能的な分類は類似していた。また、海洋や土壌のメタゲノム解析で得られた遺伝子の分布とは明らかに異なり、ヒト腸内には特定の機能遺伝子が集積していることが明らかになった。

13人の解析結果を比較したところ、系統分類群と遺伝子の機能の両面で、遺伝的背景よりも年齢(乳児か成人あるいは子供か)によって、大きな違いが見られた。乳児よりも成人のほうが遺伝子組成が複雑で、機能的に重複する別の遺伝子が多く存在していることが示された。

どういった機能の遺伝子が集積しているかを調べることで、供給される栄養素など環境の違いが、大きく影響していることがわかった。成人では、酸化的な代謝系に関係する遺伝子の減少と嫌気的代謝系の遺伝子の増大が見られ、腸内は非常に嫌気的な環境であることが示唆された。一方、乳児では、酸化的 TCA サイクルの遺伝子が見られるなど、通性好気性菌の存在も示唆された。炭化水素の代謝に関する遺伝子は両者で集積が見られたが、ヒトには分解できない植物由来の多糖の分解酵素がとくに成人で多く、幼児では母乳中の単純な糖の輸送に関与する遺伝子が多かった。

成人にだけ見られた特徴としては、DNA 修復機能、抗微生物ペプチドや薬剤の排出ポンプにかかわる遺伝子の集積、走化性やべん毛合成にかかわる遺伝子の消失があった。前者については、ヒトの摂取した食物に由来するもの、ヒトが生産するもの、また腸内で競合する微生物が生産するものから自らを守る必要があるためと考えられる。後者については、腸のぜん動運動があるため自ら動く必要がないことや、べん毛があると免疫系によって除かれることが関係していると考えられる。

また、機能未知の遺伝子の発見も興味深い。今回の報告でも、データベースにはないヒト腸内に特異的と思われるアミノ酸配列が発見されている。今後の解析が期待される。

ヒトの腸内というやや特殊な環境における事例ではあるが、各々の環境に適応した微生物相が構築されていることが示された。近年、農業環境において、地球温暖化、さまざまな汚染、生物多様性にかかわる問題が指摘されている。微生物相はこれらに深くかかわっているが、その複雑さからメカニズムが明らかにされていない現象が数多い。土壌におけるメタゲノム解析については、現段階では技術的な問題がまだ多く残されているが、今後、環境問題の解決に大きく寄与することが期待される。

(生物生態機能研究領域 星野(高田)裕子

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