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情報:農業と環境 No.117 (2010年1月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 278: 黎明期のウイルス研究 ―野口英世と同時代の研究者たちの苦闘、 鳥山重光 著、 創風社(2008年10月) ISBN978-4-88352-155-5

コッホやパスツールなどの功績により、病原細菌の正体が明らかになり、その後、感染症の研究は飛躍的に進展した。しかし、目の細かい濾過(ろか)器を通過する小さな病原体、ウイルスの正体が明らかになるまでにはそれからさらに長い年月を要し、その間研究者たちは、「細菌パラダイム」 の中で悪戦苦闘していた。

著者は植物ウイルス研究者である。19世紀以来、ドイツ、ロシア、オランダなどのヨーロッパやアメリカ、そして日本において、ウイルス研究がどのように進展し、ウイルスの正体が解明されてきたかを紹介するとともに、野口英世の業績評価について考察する。

ウイルスの最初の発見者はだれとするのが妥当であろうか。ロシアの Ivanovski は、濾過性であることから通常の病原細菌とは明らかに異なる病原体を発見した。微生物学者として名高い Beijerinck は、「液状」の伝染性病原体が生きた植物体の中で自己増殖すると結論した。このことが現在のウイルスの概念にもっとも近いことから、Beijerinck を第一発見者とする意見が強い。

物質としてのウイルスの正体に関しては、1935年に米国の Stanley が TMV の精製・結晶化に成功してタンパク質の性質を持っていると確信し、さらに1年後には核タンパク質と結論した。そして、ウイルスの感染力の実態はタンパク質ではなく核酸であることが報告されたのは、1956年である。こうした研究が、当時もっとも科学が進んでいたヨーロッパではなく米国で成果を見たのは、ロックフェラー医学研究所の存在が大きいと言えよう。

日本では、戦時中の空白期を経て、1964年には農林省に植物ウイルス研究所が設立された。この背景には、当時のイネ縞葉枯(しまはがれ)病による被害の大発生があったという。植物ウイルス研究所は、農業技術研究所の病理昆虫部の2研究室を移管し、千葉市に建設された。初代所長は木原均であり、理学分野の研究者も多数採用され、基礎研究所として多くの成果をあげている。1983年には農業技術研究所の植物生理部門とともに農業生物資源研究所に再編されたが、植物ウイルス研究所が日本の植物の分子生物学の進展に果たした役割はきわめて大きいものがある。

第2部は、野口英世とロックフェラー医学研究所である。野口はウイルス研究の進展に直接貢献したわけではない。細菌学が全盛の時代、野口は米国で次々と難病に挑んで成果をあげ、当時はノーベル賞候補にあがるなど、高い評価を得ていた。野口は既成の細菌分離技術をとことん用いてその正体を追いつめていったが、ウイルスの正体はまったく不明であった時代、その壁を突破することはできず、後になって野口の多くの業績が否定されている。

野口は日本では今も偉人であるが、海外ではその業績を捏造(ねつぞう)まがいの仕事であるかのように言い、あげくにその私生活や性格まで非難する著作物も多い。

しかし、こうした野口の業績に対する否定は、ウイルスの正体が明らかになった今だからこそ可能となった評価であり、当時の時代背景、科学の発展段階からみると、野口の別の業績が見えてくると著者は言う。すなわち、ウイルスの正体の解明による細菌パラダイムからウイルスパラダイムへの移行は、歴史的に見れば野口をはじめとする多くの研究者の苦労の積み重ねの上に可能となった。野口に対する 「中傷」 は、そうした時代背景を見ないところから派生しており、科学者としての野口英世から学ぶべきことは今でも多いと著者は訴える。

著者の鳥山重光氏は農業環境技術研究所の OB で、イネ縞葉枯病ウイルスなど、イネ科植物のウイルス病の研究に携わってきた。「野口英世の業績評価に対する一植物ウイルス研究者の試み」 は、成功していると思う。

目次

第1部 欧米と日本における黎明期のウイルス研究

はじめに

 I  ウイルスの最初の発見者

II  アメリカにおけるタバコモザイク病の研究

III 日本におけるタバコモザイク病の研究

1 福士貞吉の米国留学とタバコモザイクウイルス研究

2 松本巍のウイルスの血清学的研究

3 平山重勝・湯浅明のタバコモザイク病の研究

IV  ウイルス研究とロックフェラー医学研究所

1 Tomas M. Rivers のウイルス研究

2 プリンストンに植物病理学部門を新設

3 Wendell M. Stanley の研究を取り巻く環境

4 Stanley の研究を支えた陰の功労者,Louis Kunkel

 V  Stanley のウイルス像,その哲学

VI  川喜田愛郎のウイルス像,その‘ゆらぎ’

VII 両極端のウイルスから始まったウイルス研究

VIII 戦後復興と日本のウイルス研究

1 植物ウイルス学分野

2 医科学・獣医学・理学分野−ウイルス学会発足

おわりに

第2部 野口英世とロックフェラー医学研究所

はじめに

 I  1900年代初めのアメリカの医科学

II  野口英世にむけられた哀悼文

1 テオバルト・スミス博士の哀悼文

2 ウィリアム・ウェルチ教授の哀悼文

3 サイモン・フレクスナー博士の哀悼文

4 哀悼文からみた野口英世像

III ポール・クラークが描いた野口英世

IV  野口の原著論文とその研究業績の評価

1 梅毒菌トレポネマと培養成功

2 黄熱 (Yellow Fever) の病原体研究

3 小児麻痺(ポリオ)の病原体培養

 V  ウイルスの培養と野口英世

1 野口とルヴァディティのウイルス培養

2 プレセット女史による野口英世「批判」

3 ウイルスとコッホの条件の変更

VI  ポリオウイルス研究とフレクスナーの誤算

VII ウイルス培養と細菌学パラダイム

VIII 野口英世に対する中傷はいつまで続くのか。

資料編 1 19世紀後半〜20世紀初のアメリカの繁栄

2 ロックフェラー財団の慈善事業

3 黄熱とロックフェラー財団―国際保険部

あとがき

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